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2009.11.30 (Mon)

スカイ・クロラ


スカイ・クロラ

空とは
どこなのかと思う。

地上に接する空気の層と
真空の境をそう呼ぶのなら、
子どもたちが踊る場所は、
本当に空なのだろうか。

【More・・・】

間違って二冊目の「ナ・バ・テア」から読んだものの、
時系列から言えば順を追ってるわけで、まあいいか…。
でも、どっちを先に読むかで、
クサナギの印象が随分違う気がするけれど。
十年ほどの間に随分痛々しいことになったもので。
永遠を生きることが決められているなら、
生きれば生きるほど、生きることがキツくなるものなのかもしれない。
それとも、キルドレが空を離れたから、そうなったのか。
なんにしろ、歳月か何かによって、
空を飛んでいた頃の単純さのようなものを失ったかの人を見るのは、
悲しいような、苛立たしいような、そんな気がした。

永遠の子ども、といえばピーターパン。
でも、キルドレほどネバーランドが似合わない存在もないと思う。
フック船長とクサナギの対峙なんて、シュール過ぎる…。
その国は大人になりたくない、大人になりかけた子どもたちの国で、
決して永遠ではない、やがてはさめる夢の場所、なはず。
クサナギもカンナミも、おそらくはミツヤも、
永遠に近い場所にいる。だから、それを夢見ない。
というより、そんなものが存在しないことを知っているんだと思う。
「大人」たちは彼らに永遠を見たがるけれど、
空から墜ちれば、彼らは死ぬ。その死に方しかないのは確かだけれど。
クサナギでなくとも、彼らはあまりに刹那的で、
その感じが「子ども」に分類される所以なのかもしれない。
幼い外見よりも、今とわずかな過去しかもたないその性質が、子ども。
刹那、まさにコンマ数秒が生死を分ける生き場所と、身の内の永遠。
永遠と刹那を何重にも張りめぐらせて、キルドレは生きているらしい。
そのどちらも身になじまないから、彼らを遠くに感じるのか。

空を降りないかと誘われたとき、
クサナギがなんと言ったのかは忘れましたが、
結局彼女は地に足つけて生きることを選らんだわけで、
幾日かの休暇の間におろすつもりだった娘さえも、
基地に入ることを許すようになっている。
何割か増しで笑うようになって、激昂したりもする。
なんだか人間味が増したなあと思う。
その代わりに繰り返す言葉が、
彼女の中できしんでいる何かを感じさせるけれど、
笑って怒って、少しばかり頻繁に、そして真剣に死にたくなるなら、
それはそれでいいんじゃないか、なんて
私なんかは思ってしまうけれど、多分違うんだろうなあ。
空がどんな場所なのか、やはり分からないと思った。

二冊目だからなのか、
「ナ・バ・テア」のときより飛行シーンが分かった気がする。
相変わらず用語はチンプンカンプンだけれど、
カンナミの見ている景色が反転したり旋回したりするのを追えば、
なんとなく起きていることは分かるようになった、と思う…。
それでもたまについていけなくなって失速しますが。
まあ、ダンスは一挙手一頭足を追うものでもないもかもしれませんが。
会社によって運営される戦争の中での戦闘なら、
やはりそれは実際のところ、儀式的なのかもしれないなと思います。

さて、これでアニメを見る準備が整いました。
どう造るのか、は
どう読むのか、なはずなので
楽しみに見てみることにします。

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23:59  |  森博嗣  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

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