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2009.12.08 (Tue)

ドリアン・グレイの肖像


ドリアン・グレイの肖像
(2006/12/07)
ワイルド

それがどれほど切実だとしても、
むしろ切実であればあるほど、
願いを口にするときは、
よくよくの注意が要るのかもしれない。

特に、
魂をうつした物の前に立っているときには。


【More・・・】

かなり前に何かの全集に入っていたのを読もうとして、
読めない漢字と旧かなのオンパレードに挫折した思えがあります。
今回は新訳、ということで大変読みやすく、楽に読めました。
書かれたのが1890年、舞台も同時代なので、
その頃のイギリス貴族たちの常識には唖然としたりもしますが、
おおむね彼らの感覚は現代に近いようで、
100年なんていう時間はあってないようなもの。
もちろんワイルドの腕の凄さもあるんでしょうが。

古典、と言われるものを読むと感じるのは、
どこかで見たような、聞いたような、いわゆるデジャブ。
時代を超えて何度も何度も下敷きにされ、模倣され、
そうしながら、生き残ったものが古典なわけで、
このデジャブは本家本元を読んで模倣を思い出すのだから、妙な話。
その妙な話は「ドリアン…」も例外ではなく、
美貌と無垢を兼ね備えた青年が年上の男に感化される過程といい、
その間でオロオロする誠実で情熱的な画家の存在といい、
そして結末へと堕ちていくような感覚といい、
どこかで読んだような感は確かにある。
これを下敷きにしてアレやアレが、とか思うと、
なんだか感慨があるけれど、
おそらくは、ドリアンもそれ以前の何かをベースにしているはずで、
原典という言い方は微妙か、とも思う。
まあ、ヘンリー卿やドリアン自身が何度も語る芸術、
つまりは創作一般の話になると深みにはまりそうなので、やめておきますが。

その、ドリアン。
あのアトリエでヘンリー卿に毒されてから、
彼はただ無抵抗に堕ちていったわけではない。
シヴィルに恋をしたときや肖像の変化に気づいたとき、
それからもっと後になって、大きな罪を犯した後にも、
彼は立ち直ろうとする。その方向性はどうあれ、真っ当に生きようと決意する。
ドリアンがそう思うたびに、この人の本当はやはり純真なのだと思った。
ドリアンによって道を踏み外した人々は、
彼を恨めしげに見つめて毒づくばかりなのに、
彼自身は決してヘンリー卿を憎んではいない気がする。
自分が堕ちていくことを、誰のせいにもしない。
正々堂々堕落して、そのことをいちいち絵の前で確認したりする。
なんて真面目に堕ちていくんだろうと思う。
真面目で純真で、そして当たり前に死に怯え、さらに堕落していくドリアン。
かの主人公は、この世ならぬ美貌以外、どこまでも人間らしい。

ヘンリー卿のキャラクターの強烈さの陰になっている気がしますが、
肖像を描き、彼に心酔していた画家・バジルが、
最後まで哀れで仕方ありませんでした。
一体どこをどうしてヘンリー卿みたいな男と友になったのか不思議なほど、
画家は芸術に対しても、人そのものに対しても誠実だった気がします。
シヴィルにその母親にも、自らの堕ちていく偶像に対してさえも、
同じだけの憐れみと思いやりを抱くなんて、
「退屈な男」だとしても、あっぱれな男だと思います。
もし彼があれほどドリアンの中に理想を見なかったら、
ドリアンにも画家にも違った結末があったんだろうに。
あの画家をしてそこまでにさせるドリアンの美貌。
一体どれだけのものか、想像するのも一苦労ですが。
オトコマエ、程度のものじゃないんでしょう、きっと。

ドリアンを原因として起こった悲劇の中でも、
シヴィルの弟のことだけは、
あまりに哀れ過ぎる気がしました。

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