2017年09月 / 08月≪ 123456789101112131415161718192021222324252627282930≫10月

2010.01.02 (Sat)

パートナーシップ・生活と制度[結婚・事実婚・同性婚]


パートナーシップ・生活と制度―結婚、事実婚、同性婚 (プロブレムQ&A)
(2007/01)
杉浦 郁子

キミがいれば、それでいい。
他には何もいらない。
甘い甘い愛の言葉。

それだけで滑らかに生きていけるなら、
幸いだとは思うけれど。
キミたちはどこへ行ったとしても、
二人きりにさえなれない。
残念ながら。



【More・・・】

「結婚している」状態とそうでない状態。
具体的な差は多分、日々の生活の中にはなくて、
あるとすれば精神的なものと、
そして法律上のことなのだと思う。
前者も後者もある程度生活を支えているけれど、
何か起きた時、日常の外の出来事に遭遇した時には
後者が効いてくるのだ、ということを、
結婚の形の様々を読むうちに認識した。
誰が認めようが認めまいが、
一人と一人として、二人は幸福を体現できるとしても、
認められなていないがために、それが傷つくこともある。
死にゆく人の手を握るには、
愛以外にも必要なものたくさんあるようです。

事実婚という結婚の形は、
実際どういうものなのか、どうしてその形があるのか。
それを今まではほとんど意識していなかった。
精々同棲の延長線上の、当人たちの意識の問題だと思っていた。
そもそも「内縁」という言葉が、
法律上のものだとも知らなかったわけで、認識不足も甚だしい。
婚姻届を出すだけで結婚が成立する日本は、
挙式が必要で、そのやり方にまで一定条件があるキリスト圏より
分かりやすくていいな、と思う一方で
「夫となる人」「妻となる人」という項目その他が、
記入者に重いものを求めることもあるのと思う。
性の多様性だの、結婚の自由だの、個人主義だのという言葉が、
この書類の上では完全に無視されている。
そしてそれが変えられるまでの道のりは、遠い。

法律で同性愛行為が禁止されていたような国でさえも、
パートナーシップ制やそれに準ずる法律によって、
不利な立場にあった者たちの権利と保障を与え始めているというのに、
なかなかどうしてこの国は一筋縄ではいかない。
「家」制度の撤廃から、
社会の認識が変化するまでにかかった(orかかっている)時間を考えれば、
男女の法的な結合以外の形の婚姻が一般に浸透するには、
それなりに時間がかかるのも当然だろうけれど、
その過程の中のパートナーシップ制が成立するという部分は、
あまり一般に議論されている気がしない分、やはり亀の歩み。
少なくとも、里子や生殖医療の問題がテレビのニュースで語られるとき、
その中に同性のカップルや事実婚という言葉はめったに出てこない、と思う。
関係ないどころか、大いに関係しているというのに。
語られないから、認識されない。
認識されないから、進まないのだろうなと思う。
語れれることをよしとしない人もいるだろうけれど。

家族とは何なのか、について
それはもう多種多様、意味の広い狭いもあると思うけれど、
そういう個々人の認識の問題とは別に、
社会とかいう枠の中にとどまりたいなら、
実際として一人では生きていけないのだと思った。
一人っきりになることなんかできなくて、
二人っきりで在ることも難しい。
その上、社会の野郎は勝手に何かしらの繋がりを設定してくるから、
なおのこと話がややこしくなる。
せめて、自分で選択した繋がりくらい、
何を選ぶかに関わらず全うするために、
法律や制度はやっぱり必要だという気がした。
それで身動きが難しくなったとしても、
それだけのものがないために
知らせを受け取れないなんて、あんまりだと思う。

「私たちは皆、多数者であり同時に少数者でもあるのです」
それが正しいなら、手を握れなかった人々の話は、
私にとっても他人事ではない。

スポンサーサイト

テーマ : 読書感想 - ジャンル : 本・雑誌


17:13  |  複数著者  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

Comment

コメントを投稿する


 管理者だけに表示  (非公開コメント投稿可能)

▲PageTop

Trackback

この記事のトラックバックURL

→http://acon6960.blog40.fc2.com/tb.php/114-e1f5c91b

この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック

▲PageTop

 | BLOGTOP |