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2010.01.04 (Mon)

同性婚 ゲイの権利をめぐるアメリカ現代史


同性婚 ゲイの権利をめぐるアメリカ現代史
(2006/05/31)
ジョージ チョーンシー

違い、は確かにある。
誰と誰の間にも、
それははっきりと存在する。

でも、それがたとえどんな種類のものでも
権利を奪われ、嘲笑の的にされる謂れはない。
決して、ない。

【More・・・】

ブッシュJr.の再選の折、
同性婚を認めるか否かが争点の一つになった。
それはその唐突さと、日本ではまずないような展開とともに
確かに記憶している。
でも、どうやらそれは唐突でも、驚くような展開でもなかったらしい。
そこに至るまで、アメリカが揺れながら歩いてきた、歴史。
結婚以前にゲイという存在を社会がどう扱うのか。
大衆も、教会も、そしてゲイのコミュニティも、
ときに分裂し、ときに団結し、歩み寄りながら、
2004年のあそこへたどり着いた。
その歩みを丁寧に分かりやすくたどってくれたので、
まるで一つのドラマを見ているかのようだった。

同性愛を否定するときに用いられる論旨。
いわく「不道徳な選択をしている」
いわく「子どもと社会を脅かす」
あるいは「自然の摂理に反している」
そのどれもが的を射てないのはもう自明だと思うけれど、
ふとすると、今でも聞かれる言葉のような気がする。
これらを使って、彼らを根絶しようとする人々に対して、
ゲイがやってきたことは、本当に気が遠くなる。
染みついたイメージを脱ぐい去るのには、
いつでも大変な労力と時間を要するもので、
その過程で内部分裂が起きたり、努力が全く無視されたりもする。
第4章の最後で結婚許可証を受け取る列に並ぶ人々の言葉を読みながら、
ぐりぐりと胸をえぐられたような気がする。

ドラマとしても興味深かったけれど、
同時に全く知らなかった事実を多く認識することができたと思う。
特に、なぜ「結婚」が求められたのかという点と、
ゲイ差別の歴史の、意外な短さには驚いた。
異性同士であっても、結婚という選択をしないカップルはいるけれど、
できるけどしないことと、できないことの間には大きな差がある。
特に「権利」について敏感なアメリカでは、
それを与えられないことは、市民権のはく奪に等しいらしい。
逆に、与えないことは、彼らと異性愛者の間に線を引き、
存在を認めながら、同じ位置には立たせないという意図もあるという。
もちろん日々の生活の中で、
結婚していないために困難や不利を生じることもあって、
改めて「結婚」がまるで免罪符のような、強力な証明だということを思った。

同性愛者は延々と差別されてきたような印象をもっていたけれど、
どうやらそれが顕在化したのはそう昔のことでもないらしい。
そういえば日本で考えても、公に私にそれはずっと存在してきて、
ある程度社会の中で認められていた頃もあったはず。
正確にいつまで、というとよく分かりませんが。
なのに、今はオープンにするのは難しい気がする。
リンチだの解雇だの、あからさまな差別も受けにくいとしても、
そうと知れれば、今までと同じではいれられない。
と思うのも、なんだか偏見含みの見方な気がするけれど。
アメリカでもそれはある程度同じ。
でも、同性婚を国策の議論の机に載せられるくらいには、開いている。
「泥の国」日本よりも、よほどアメリカの方が懐は深いのかもしれない。

レズビアン・ベビーブームの存在にも驚いた。
同性愛者が子どもを持つことに対しては、
色々と反感やら何やらあるだろうけれど
「自分は異性愛者に育てられても異性愛者にならなかったのに、
 なぜその反対のことは起こりうるというのだろう?」
ああ確かにそうだな、と単純に納得した。

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