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2010.02.05 (Fri)

罪と罰1


罪と罰1
(2008/10/9)
フョードル・ミハイロヴィチ ドストエフスキー

越えてはならない一線。
それを引くのは、
社会でも、まして倫理道徳でもなく、
おそらくは引くことそれ自体が、
自分の仕事なんだと思う。



【More・・・】

一般常識レベルでドフトエフスキーといえば、な作品。
恥ずかしながらの初読みです。
近頃本当に光文社の新訳シリーズがありがたい…。
この間は中国文学の父に親しみ、
今度はロシアの文豪。
貧乏学生の金銭感覚や当時の世情には困惑しますが、
それ以外は違和感なく普通に読めるのが嬉しい。
ただ、少しばかり丁寧すぎる解説が気になります。
1ではまだ出てきていない場面まで語らなくてもいいのに。
時代背景の説明は重宝しましたが。

してはいけないことをしようと決意する理由は、
貧困だとか、積年の恨みだとか、社会のひずみだとか、
あげくには心の闇だとか何だとか。
それが起こってしまってからあれこれ外から言ったとしても、
結局は当人のごく個人的で、しかもささいな問題なんだなと、
ぐるぐる悩むラスコーリニコフを見ていて思った。
もちろん背景の背景みたいなものとしては、
そういうものも関係している。
でも、最後の一手、引き金を引くのは
どうでもいいようなことなのかもしれない。
たまたま包丁が目に入ったとか、
夢見が悪かったとか、足の小指をぶつけたとか。
そんなことでと思うような理由で実行したと言えば、
巻き込まれた方が憤るのも当たり前だけれど、
だからといって、大義があればしていいわけでもなく。
とどのつまり、理由なんて何の意味もないのかも。

犯罪を犯した元大学生・ラスコーリニコフですが、
やってしまったことの重大さの分だけ、
なんだか正しく苛まれている気がします。
実際「それ」を行った時人がどうなるのか、
自分のような小市民には分かりかねますが、
物語の中の犯人たちは、
大概ラスコーリニコフほどには心神喪失状態にはならない。
ぶっ飛んでいるとかではなく、
いちいちそんな風に錯乱したり失神したりしていては、
犯人としてお話にならないという理由もあるんでしょうが、
どうもそれに慣れてしまって、
ラスコーリニコフの動揺が、妙に大げさな気がしてしまう。
でも、想像するに、斧を人の脳天に振りおろすという行為は、
動揺して理性に見放されるに十分なことがらだと思う。
ラスコーリニコフは、少しばかり偶然に愛されただけの、
ごく普通の若者なんでしょう。

1巻は全6部中第1部と2部が収められていて、
物語全体としてはまだ序盤。
悩める青年ラスコーリニコフはどこへ行くんでしょう。
犯罪云々もさることながら、
お母さんと妹さんにその婚約者。
それから、おせっかいな友人ラズミーヒンに医者のゾシーモフやら
警察署長・副署長、飲み屋で出会った呑んだくれの家族…。
彼の周りでうごめく人々の多様で濃いことと言ったら、
ラスコーリニコフでなくても気が滅入る。
再三にわたり、一人にしてくれと彼が叫ぶのも頷けます。
ラスコーリニコフが何を望むにしろ、
人々の思惑やら期待やらが彼を自由にはさせない気がしますが、
できるなら、せめて一日くらい一人になれればいいのに。
その上でしかるべき場所へ行ってもらいましょう。

読みやすいのはいいんですが、
いかんせんそもそもロシアンの名前が覚えられないという罠。
愛称は原典から統一されているらしいのが、せめてもの救いですが…。
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