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2010.02.18 (Thu)

前巷説百物語


前巷説百物語
(2009/12/25)
京極夏彦

下世話で悪趣味で下卑た、噂話。
口さがない者も、清廉なる者も、
耳にし、語り、そうして変形するそれ。
その中に、あるいは裏に表に
ゑんまの使いと、
若き御行の影を見る六つの話。


【More・・・】

損か得かと言うと、
どうも銭勘定ばかりを思い浮かべてしまいますが、
よく考えなくても骨折り損のくたびれ儲けというくらいで、
損はお金の話ばかりではないようで。
一筋縄では埋められない損を引き受ける、なんて
表の稼業もやっているとはいえ、そんな商売よくやる気になる。
元締めもその周囲の者たちも、表の裏のとよく言うけれど、
二つの世界の別なく、どうしたってそんな商売をしていれば、
見たくもないものを見て、触りたくもないものを触ることになるわけで、
それが仕事だと言ってしまえばそれまでだけれど、
ゑんま屋に関わる人々は、総じて奇特なご仁だと思う。

そこに若き又市が引きいれられる「寝肥」から始まって、
御行又市が生まれる「旧鼠」まで、
この一連の百物語のシリーズ全体に言えることですが、
読めば読むほど悲ししくなる気がします。
又市は繰り返し、人死にの損を埋める手立てはないと言いますが、
人死にではなくとも、出てしまった損は埋められないのだと思う。
それをなくなったように、埋まったようにするのが損料屋の仕事。
でも、お金をもらってするその仕事の成果として、
いくら依頼人の損の穴に上に皮が張っても、
損を引き受けた側は、しなくても良かったはずの損、
というよりは、傷か荷のようなものを負う気がする。
それは多分、お金では購えない。
ゑんま屋は割に儲かっているようだけれど、
最初から商売の仕組みそのものにどこか無理があるような、
言い換えれば、商売らしくない気がした。

案の定、裏の者に嗅ぎつけられて、
ゑんま屋もその子飼いの者たちも大損するわけですが、
そうなったのは又市の言うやり過ぎとは少し違うんだろうなと思う。
あちらさんはやってやり返されたその差を返してやろう、なんて
それこそ青臭い理屈では動いていない。
損のキャッチボールから言えば、仕返しの仕返しは明らかにやり過ぎている。
さらに返そうにも埋めようにも、どうしようもない。
元々が返された損じゃないから。
だから一応の決着をつけるために、
外部から損を引き受ける人間を呼びこむしかなかったんじゃないかと思う。
ゑんま屋が引き受けた損のどれに関わるときも、
おそらく又市は「負けて」いる。
依頼は完遂し、責められるいわれはなくても、
どこかにもっといい図面があったはずだと思うのは、
納得できていないからだと思う。
関わったことで生まれた彼自身の損が埋まりも覆われもしないから。
最後の「旧鼠」に至っては、たくさんの人死にを出して、
そうして誰の損も埋まっていないのだから、又市でなくてもやりきれない。

全体としては御行又市になる前の、
棠庵先生いわく腕っぷしも知識もない若造又市が、
青臭いのみならず、気は短いは口は減らないはかなり真っ当だわ、
前の三冊とは若干違う風味で、
「後」を知っている分切なくもなりますが、単純に見ていて楽しい。
御行の仕事よりも少しばかり杜撰で穴のある仕掛けも、
その穴あき具合がうまいなあと思う。
そんな若々しい又市が回すからか、
どことなく各話それぞれの筋も読み易くなっている気がします。
さすがに上方の狸が仕込んだものは見抜けませんでしたが。
真面目で至極真っ当な志方殿のおかげもあって、
又市たちが描き出した夢がどんなものなのかも理解しやすい。
それにしても岡っ引きの万三、なかなかな人物だなあ。
見ようによっては志方殿よりまだ懐が広いのかもしれない。

六つの話の中で、仇討ちの話の筋だけは、
依頼人の岩見が語れないと言っていた時点からすでに、
最後で明らかにされたその仔細まで見えてしまった自分が、
なんだか嫌になりました…。

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