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2010.02.20 (Sat)

アメリカにいる、きみ


アメリカにいる、きみ
(2007/09/21)
C・N・アディーチェ

アメリカもアフリカも、お隣の国でさえ
海の向こうの世界は等しく遠い。
けれど、空を飛んでか波を越えてか、
やってきた言葉を飲み込めば、
そこが宇宙の彼方よりは近いことぐらいなら、
確かに感じることができるのだと思う。

アディーチェさんの言葉は届いた。

【More・・・】

季節に吹く風と言って、
自分が思い浮かべるのはその名の通りの季節風、
もしくは精々が春一番かフェーン現象のときの湿った熱風。
雷とともにやってきて、
ナイジェリアの地に土埃を巻き起こすというその風は、
体験したことはおろか、存在さえ知らなかった。
もしかしたらはるか昔の地理の授業で、
聞いたことくらいはあるのかもしれないけれど。
でも、その風の吹く場所で立ちつくす人々の痛みや悲しみは、
あまりに瑞々しく、目をそむけたくなるほどはっきりと、
物語を追えば追っただけ、迫ってくる気がした。
経験も知識も追いつかないものをこれだけ感じられる文章なんて、
えらく久しぶりに出会った気がして嬉しくなった。

十の短編からなる一冊が扱っているものは、
多分一つなんだろうなと思う。
たとえばナイジェリアの歴史と現在だったり、
あるいは移民やアメリカ社会の問題だったり、
具体的な内容の共通点も多々あるけれど、
それとは別の芯のような、下敷きのようなものも同じなのかもしれない。
十代の若者だったり、母親だったり、独身の男だったり、
語り手は様々で、状況もまるで対岸のような場合もある。
訳者あとがきに書かれている通り、
そういうバラバラの人々をそれぞれに描けるだけですごいと思うけれど、
そうしながら、その中に同じものを滑り込ませることも成功しているなら、
ちょっとどうかと思うくらいのべた褒めの訳者あとがきにも頷いてしまう。

その中でも「スカーフ ひそかな経験」では、
日常がひび割れて、最初に現れるものが驚愕でも絶望でもなく、
もしかしたら希望のようなものかもしれない、とか、
そんなことを初めて考えた。
あとほんのひと押しで完全に日常が崩壊しそうな状況、
というより、すでに崩壊していることに気づくその間際で、
語り手の女性が見ているものは、
その後に彼女が見ることになる何よりも、力強くて貴い。
このときの出会いと経験が、彼女のその後を支えるんだろうことが、
未来の悲惨さを端々に挟み込んでいながら、確信できる。
ただ、否定すべきものを地面にして美しいものが現れる、ということは
確かにしばしばあることかもしれないけれど、
いくら美しくも、それは認めてはいけないものなんだろうとも思った。

「ここでは女の人がバスを運転する」と、
「ママ・ンクウの神さま」にもビリビリきた。
この二篇は「半分のぼった黄色い太陽」なんかに比べると、
随分と平和で、言ってしまえば普通の話な分安心して読めた。
まあ、その普通の話の背後に他の八篇と同じものを感じるからこそ、
余計にそれに気づいたときビリビリくるわけですが。
一方で「ママ・ンクウの神さま」の語り手の教授が、
なんとなく、というかもう、はっきりあからさまに、
「ヘルマフロディテの体温」のゼータ教授とかぶってしまって、
彼女のよからぬ妄想が挟み込まれる度に可笑しくて仕方なかった。
いちいちあたふたしていた「僕」とビビは大分違いますが、
もしかしたら二人とも素晴らしいストーリーテラーの卵かも、とか
そんな妄想もふくらませてみれば、二重に楽しい。
この話が最後でなんだか救われた気がします。

ファンタジックな新世界を構築するまでもなく、
海を越えた先の大地に知らない世界はあるわけですが、
何一つ肌になじんだものがなくても、
そこは別世界でも何でもないんだなと思った。

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