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2010.02.22 (Mon)

鬼の跫音


鬼の跫音
(2009/1/31)
道尾秀介

もういいかい。
そう訊いてくれる優しい鬼なんて、
そうそういるもんじゃない。

見ーつけた、の声は、
ある日背中にふりかかる。



【More・・・】

子ども時代の鬼は、
いつも追いかけてくるもの、だった気がする。
隠れていてもいつかは見つかる。
手を繋いで走っても追いつかれるし、
捕まれば自由を奪われるか、自分が鬼になる。
そんな遊びをきゃあきゃあ言いながらしていた。
見つかりたくなかったし、鬼にもなりたくなかった。
でも、見つからなければ、捕まらなければ、
遊びは終わらない。家に帰れない。
最後はいつも鬼の勝ち、そういう遊びだったのだと思う。
鬼が近づいてくる音は恐ろしいけれど、
終わりが訪れる安心感もともなっているのかもしれない。
短編六篇はどれも、逃げる人々の話なんだと思う。
罪や過去や、何かしらの後ろ暗い想いから。
彼らはみんな昔やった鬼ごっこをしているようだった。

やましいことがなければ逃げる必要はない、とは言うけれど、
何かが追いかけてくれば、普通は逃げるでしょう。
お巡りさんの厄介になる覚えがなくたって、
おいコラ、などど呼びとめられただけで、
自分のような小心者はまさに脱兎のごとく、だろうし。
変なものですが、追いかけられれば逃げるのと同じ道理で、
逃げられれば追いかけるものでもあるらしい。
だから、六篇のどの語り手も、
逃げるのは道理だし、追いかけられるのもまたそう。
そして追ってくるのが鬼であるならば、
少なくとも、逃げる者自身が鬼だと思っているならば、
逃げきれないのも、また道理。
ある者は逃げるのをやめ、ある者は手を触れられた途端に観念する。
それは、逃げきれないことに気づくから、なんでしょう。
まあ、逃げきってほしいと思うような語り手はいないので、
たとえ追ってくるのが現実から乖離した存在でも、
鬼の側につきたくなるのは、なんだか皮肉な気もしますが。

そんな、鬼ごっこの話としてどれも読んだんですが、
「箱詰めの文字」と「冬の鬼」は、
少しばかり雰囲気が違うような感じがします。
「箱詰めの文字」は、鬼の手際が非常に悪くて、
相手が半ば観念しているというのに、返り討ちにあい、
結局は逃げる者も追う者も同じだったいう話なので、
鬼ごっことはちょっと違うかとも思います。
本全体としてやれ殺されたの苛められたの裏切ったのと、
黒い事柄が多く登場する中でも、
輪をかけて陰惨な話なのは間違いないんですが、
なんでしょう、このコミカルか感じは。
単純に人数から言っても一番人死にが出ているはずなのに、
この話が一等明るいような気がしてしまうのは、
おそらく妙ちきりんな青年と語り手の乾いた感じのせいなんでしょう。
最後の落とし所さえも、あまりヒヤっとしないのは
書き手の思惑としてどうなのかと思いますが。

「冬の鬼」は、ああなるほど、と
単純に納得してしまった。
そんなに繰り返さなくても、
「私」とSの在り方はそうおかしくもないと思ってしまうのは、
もしかしておかしいことなのか、とか変な勘ぐりまでしてしまう。
ただ、日付をさかのぼる形の語りを、
日付順に読んでみると、鬼の足の速さの違和感があるような。
Sとの生活が始まって半年、と考えれば、
まあ妥当というか、そんなもんかなとも思うけれど、
本当にSを美しいとか愛おしいと思い始めて、わずか八日。
それで鬼の気配を感じるようになってしまっては、
なんだかSの行為が報われない気がする。
それなら、少なくとも半年はもった、
薄皮一枚に隔てられた生活の方が良かったんじゃないか、とか。
まあ、Sにしたら、望むものを手に入れて、
望まれることをして、本望なのかもしれませんが。
「私」にはもう少し気張って欲しいものだと思った。

どのSも大概な人間だけれど、
それを差し引いても不運な男だなと思う。

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