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2010.02.26 (Fri)

ねこに未来はない


ねこに未来はない
(1975/10)
長田弘

親の死に目に会えないのが、
夜に爪を切ったせいだとしても、
猫の死に目に立ち会えないことには、
おそらく何の因果もない。

あえてあると言うのなら、
愛したものが猫であること、だろうか。

【More・・・】

たとえ彼・彼女が眠ったように息を引き取ることできる、
数少ない「ねこ」だとしても、
その命は大概の場合、人よりも短い。
ものすごく長く見積もったとしても、二十年。
それが変死する「へこ」や頓死する「とこ」なら、
体が大人になりきる前に、
人を残して彼らはさっさと逝ってしまう。
猫を飼うならば、いや猫でなくても、
人より命短い獣と暮らすならば、
別れが避けられないのは、まあ当然なんでしょう。
それでも、せめて別れをしたい、
命の失われる瞬間に立ち会いたいと思うのは、
人のエゴなんだろうなとは思うけれど、
猫はそれをさせてくれない獣でもあるようで。
新米猫好きがこうも次々いなくなられては、
そりゃあベッコベコにヘコむのも頷ける。

嫌いだったものを好きになる筋道として、
事故、というのは存外多いんじゃないかなと思う。
つまり、いきなりそれが生活の中に侵入してくるというパターン。
身構える余地なく向き合わされると、
嫌っていた部分が視野の外に追い出されて、
好ましい部分がクローズアップして見えるのかもしれない。
そして、飛び込んきやすいもの、といえば、
子猫に子犬が筆頭核でしょう。
猫嫌いの長田さんと共に暮らしつつ、
夢の猫のいる生活を実現させた奥さんの手腕は見事だなあ。
長田さん的には猫への意見の相違は、
恋の大事の前の小事だったようだけれど、
おそらく奥さん、確信犯な気がします。
二兎を追う素振りも見せずに、一人一猫を得るとは、相当の手練に違いない。

その奥さんも猫初心者のようで、
子猫の奔放さや、トイレのときの真剣な表情の描写がいちいち楽しい。
猫のために引っ越した家で、
ただ一匹の猫に愛情を注いで、新しい命が生まれて、
それでも、彼らはいなくなる。
ふいに、何の前触れもなく帰ってこなくなる。
今日こそはもしかしたらと期待して、毎日毎日失望して、
かすかな物音にもびくりと反応してしまうようになる。
そういう経験を知っていればなおさら、
長田さん夫婦の痛みが、我がことのように沁みた。
とうとう諦めるその日がどれだけ先なのか、
その辺りはまちまちではあっても、
新しい猫をもらってこようという決意はなかなか大変なもので、
ベッシーおばさんの言葉に救われる気がした。
「ねこのためにはたらく」というおばさんは凄い人だと思う。

詳しいことはよく分かりませんが、
確かに獣によって、時間の感覚や認識には差があるらしい。
過去と今と未来という概念をもっているのは、
人だけだとかいう話も聞いたことがある気がします。
人である自分には未来をもたないという感覚は分かりませんが、
貧相な想像力をフル稼働で思うにそれは、
明日なんて言葉も知らなかったガキの自分の気持ちに近いのかも。
朝起きて、すべての時間を隅々まで遊びきって、
今日一日で自分を全て使いきらなきゃいけないようなあの感じ。
そういう風に猫が日々を生きているのだとしたら、
彼らの度量は半端なもんじゃないと思う。
何しろその使いきるべき時間の三分の二ほどは寝ているのだから。
猫は気ままで自由だというけれど、
未来のない時間をあんな風に生きられるなら、
本当にそうなのかもしれないなと思った。

猫の恋は春の季語らしいですが、
あの切ない鳴き声と夜毎耳にするのはもうじきのことか、と、
母になったチイを見ていて感慨に浸った。

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