2017年06月 / 05月≪ 123456789101112131415161718192021222324252627282930≫07月

2010.02.28 (Sun)

ベルカ、吠えないのか?


ベルカ、吠えないのか?
(2005/4/22)
古川日出男

異種混交の結果生まれた子供は
その次の世代を産む能力を持たないという。

イヌはイヌ。
純血も雑種もイヌを分けはしない。

【More・・・】

自分の系譜をたどろうとするとき、
人はたとえば親族に尋ねる。
あるいは戸籍や家系図なんかのデータを探す。
それでどこまで遡れるかは色々だけれど、
少なくとも、何かしらの手段はある。
けれどもし、それが全く不可能なら。
尋ねるべき親族も、閲覧できるデータもないなら、
それはとても不安なことだと思う。
個はあくまで個だと分かっていても、
どこか基盤を見失うような感は否めない。
ただそれはそもそも「辿る」ことが可能な人間の話。
獣たちは辿らない。その必要はないんだと思う。
だからこれは、あくまで人によるイヌの話。

ある島に居合わせた三頭のシェパードと一頭の北海道犬。
その四頭から物語、イヌの現代史は始まる。
イヌたちは主人を代え、殖えながら、あちこちへ散らばっていく。
純血を保つもの、狼とまで交わり雑種を極めるもの。
戦場で人を襲い、麻薬を嗅ぎ、海を漂い、野犬として恐れられ…。
たった四頭から、よくもまあこれだけ分かれたものだと思う。
その四頭の繋がりと別離に、何かしら運命めいたものまで感じてしまう。
とはいえ、少し考えてみると、
その四頭にしても、人に添う「イヌ」の系譜のある末端なわけで、
確かにイヌが宇宙に行き、
戦争のために計画的に殖やされる世紀の先端にいたとしても、
同じ流れをくむもの同士が牙を交えることや、
人には悲劇的に見える様々な交叉は、おそらく普通のことなのだと思う。
貧弱な理屈の上での話ではなく、真実彼らには個しかなくて、
それは全く悲しいことでもなんでもないに違いない。

イヌの一世代は精々が二十年。
幼犬の時代と老犬の時代を差し引けば、
現役で戦ったり、交わったりできるのは長くても十年でしょう。
その中で何を為さねばならないか。
イヌたちは人などよりよほどよく心得ているように見えた。
人はといえば面白いくらいに目的を見失い、
ときには手段に固執して、イヌを翻弄する。
それでもイヌたちは忘れない。
何を奪われても、ただ一つの目的のために疾走する。
その姿は生々しさが匂い立つようで、それでいて美しいと思う。
彼らの生を見るとき、その短さや一途さを考えずにはいられないのは、
イヌたちを「おまえ」と呼ぶ語り手と同じように、
所詮自分が人の目をもつ人でしかないからなんだろうと思えば、
なんだかやるせないような気もする。

当然、イヌと人の間で言葉は通じない。
けれど、意思を伝え合うことはできるのだと、
ベルカとストレルカ、たくさんのイヌと大主教の関係を見ていて思う。
ただそれは多分、愛とか情が可能にしていることじゃなく、
互いの歩み寄りさえも存在しない気がする。
いや、人の側からの歩み寄りはあるのか。
ストレルカはイヌになり、大主教は人らしからぬ目的意識でイヌを繰る。
イヌたちは彼らの意思に応える。
人にとってイヌは友であり家族であり道具であり敵でもある。
じゃあイヌにとってもそうなのかと言えば、
そうじゃないところにイヌと人の関係の妙があるのかもしれない。
人はイヌの中に人に近いものを見るけれど、
イヌが人の中にイヌを見ることはあるんだろうか。
「あたしはイヌなのに」そう言う少女が悲しく見えた。

イヌが群れを大きくしながら南下する、と言うと
どうもクマ退治のために漢を集める犬漫画を思い出しました…。
まあ基本「うおん」なので大分趣は違いますが。

スポンサーサイト

テーマ : 読書感想 - ジャンル : 本・雑誌


12:16  |  古川日出男  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

Comment

コメントを投稿する


 管理者だけに表示  (非公開コメント投稿可能)

▲PageTop

Trackback

この記事のトラックバックURL

→http://acon6960.blog40.fc2.com/tb.php/137-a35a4626

この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック

▲PageTop

 | BLOGTOP |