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2010.03.05 (Fri)

ガラスの動物園


ガラスの動物園
(1988/03)
テネシー ウィリアムズ

繊細な感性は賞讃される。
はかない美しさは愛される。

もろいこと、弱いことを、
許容するだけの余裕がある限りにおいては。


【More・・・】

確か手塚治虫の「七色いんこ」で出ていて、
他にも色々な演劇があったはずなのに、
なぜかこの話の印象だけがよく残っています。
あ、あと「動物農場」や「ゴドーを待ちながら」とか。
小さくて壊れやすいガラスの動物たちを集めるローラと、
過去の夢の中に浸って生きる母親二人の関係の話だと思っていたら、
ちゃんと現実に足をつけた弟もいたようで。
それから遠距離に恋して出奔した父親、
弟の同僚の青年紳士・ジム。
劇はこの五人のみで構成されていて、
舞台は一家が住む小さなアパートと非常階段のみ。
訳者が解説で書いているように、
これだけの設定で確かに家族の普遍性みたいなもの、
くだけた言い方をすれば、「あるある!」が詰め込まれていた。

ローラの内気具合は大変なもので、
タイプライターのテストだけでもどしてしまうほど。
憧れのジムに対して「ぶらぶらしているわけじゃない」とは言ってますが、
学校を中退して職業訓練もせず、
日々公園や植物園に通いつめたり、
ガラスのコレクションの手入れをする、というのは、
間違いなく「ぶらぶら」だと思うんですが。
現代で言えば引きこもりと呼ばれても仕方ないような。
ローラはローラで自分の現実から逃げていて、
ガラスのように繊細、と言えば聞こえはいいけれど、
彼女の在り方はやっぱり褒められたものじゃないなと思う。
ジムの素人心理分析によると、自信の欠如が問題らしいけれど、
二十四にもなって内気なのでって、とか思ってしまうのは、
母親や弟、ジムまでもが彼女を批判しないことの反動かもしれない。
誰かこの子の尻をひっぱたいて立たせてやればいいのに。

それをすべき母親はと言えば、
自分の失った夢を取り出しては眺めるのが日常になってしまっている。
ただ、それで日々の生活に支障をきたすという訳でもなく、
それが現実離れしていたとしても、
「将来の」夢を娘に見られるだけ、まだマシなのかも。
自分にどれほど多くのボーイフレンドがいたのか、なんていう
母親の聞きあきた話を、娘と息子が我慢して聞く場面では、
この人たちは家族なんだなあと思った。
ローラのセリフ「母さんはこの話をするのが楽しみなのよ」は、
おそらく大体の家庭で子どもたちの間で交わされる言葉だろうと思う。
それが父親の武勇伝であれ、母親の自慢話であれ。
この点に関しては、ローラもトムもちゃんと現実を見ているのに、
ローラはガラスの動物園に、トムは詩の世界に、
それぞれ夢を馳せて、現実をないがしろにする面もあって、
他人の夢のはかなさは見えても、
自分のそれだけは見えないものなんだろうなと思った。

自縄自縛で身動きできないローラを見ていると、
どうも苛々してしまうんですが、
コンプレックスの原因になっている足とその音について、
「私にはまるで___雷のように聞こえたわ!」
と彼女が語る場面には、なんだか自然に頷けた。
他人よりもの凄く優れたもの、なんていうものが
大概が勘違いか驕りなのと同じように、
他人に劣っているもの、もまた拡大されて見えるんでしょう。
自信の方が拡大されているジム青年の言う通り。
その結果が、自分にだけ聞こえる「雷のような」足音。
そういう経験は誰しもあるもんだろうなと思う。
まあ、誰にでもあるからと言って、
それにいつまでも囚われていていいわけなどないんですが。

細かい演出まで指示された台本なので、
思い浮かべるのに苦労はありませんでしたが、
やはり劇は演じられているものを見なくてはと思いました。


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