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2010.03.06 (Sat)

いつか大人になる日まで


いうか大人になる日まで
(1997/12)
柴門ふみ

彼らは大人になりたいんじゃない。
もう心は出来上がってしまった。
だから彼らは待っている。
世界がそれを認めてくれる、
いつか必ずやってくる、その日を。

じりじりと焦げつくような想いで。


【More・・・】

「あすなろ白書」は未読ですが、
それでも掛居保という人物には惹かれた。
早熟と言ってしまえばそうだけれど、
自分が「早すぎる」ことと、
周囲にそう思われるだろうことに、
この少年は異様に自覚的で、
その上で日々を平和に過ごすための方策を講じている。
大体においてそれはうまく機能する。
でも、たとえば三者面談に母親の愛人がきたときなんかに、
早熟であっても、天才ではない素の少年がぼろりと現れる。
硬くてもろい仮面をつけて、
世界が自分に追いつく日を待っている彼の日々は、
痛々しくて息苦しくなるけれど、妙な艶をもっていると思う。

大人は良くて、どうして子どもはダメなのか。
そんな想いはある時期、誰もがもつものだと思う。
いや、特定のいつか、でなくても、
そんな言葉で子どもであることを自覚させられる度に、
何度も何度もどうして、と思う。
その言葉を無意識に使ってしまう側に回った今、
朝子や保の「どうして」を満たす言葉を、
自分は持っているのだろうか、とか思う。
そうして子どもと大人の間に線を引くことで、
子どもたちを守っていると言えば聞こえはいいけれど、
そんな耳触りのいい言葉では、彼らは納得しないでしょう、多分。
朝子は総身で、保は冷やかな視線で、
そこにある矛盾を糾弾してくる。
目をそらしたくなる自分が恥ずかしくてならない。

保や朝子と一線を画す形で、
トキエや悟朗、保の母もそれぞれ魅力的だと思う。
生家の縛りと自分の夢の間にいるトキエも、
近接の未来のために自律する悟朗も、
形は違えど、保の言う「マトモさ」を持っているように見える。
足掻いてもだえて、自分の足元を固めることを、
少年少女の「マトモさ」と言うのなら。
その意味では、「早熟」の二人も、
ちゃんとそれを実践しているような気もする。
保は母をもう諦めてしまっているけれど、
彼女は大人でありながら、
歪な形でガキのようにもがいているからこそ、
息子からしたらどうにもやりきれないないのかもしれない。
ごくたまに笑い合う母子を見ていると、
もう少しで保が母を許せる日がくる予感もした。

十二歳から十四歳までの時間に、
二度出会い、二度別れた保と朝子。
同じ本性を異なる形で隠す二人が、
再び交叉することはもうないんだろうなと思う。
朝子の独白「センダックの森」を読むと、
当たり前の友情と恋を得つつある保よりも、
この少女の行き着く先が心配になってしまった。
森の中で彼女と手を繋いでくれる本物の彼が、
早く現れてくれたらいいのにと思う。
病院で見つけた「彼氏」なんかじゃなく、とか思うのは、
十四歳をやはり子どもと見たいがためかもしれないけれど。

「あすなろ白書」にも手を出して、
保のその後を追ってみたいと思います。

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