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2010.03.10 (Wed)

夢みた週末


夢みた週末
(2009/12/24)
イシノアヤ

理想の週末、という言葉で思い起こされる一日が、
もしも一人でないのなら、
ある誰かの存在を含んでいるのなら。

それは大いに幸福なことなのかもしれないと思う。


【More・・・】

熊の大五郎が友だちだったのは、
もう思い出すのも難しいくらい昔のこと。
文字通り寝食をともにしていたけれど、
それでもぬいぐるみが恋人だったことはない。
「my dear」と「夢みた週末」の主人公は、
どうみてもいい年の男、独身。で、クマが恋人。
クマにただいまを言い、食卓やベットを共有する。
それだけ書くともの凄く色もののよう、
いや、実際絵面で見ても異様な感は否めないんですが
どっこい、読んでるこっちが恥ずかしくなるくらい、
ど直球の恋のお話でした。クマの、そしてヒトの。
クマヒト合同の結婚写真とか、
耐性のない人間には少々のカルチャーショックが。

安定を破壊する者に対して、
手を突っぱねるのは自然な反応だと思うんですが、
ぬいぐるみ男(本編では一度も出ていませんが名前は小津らしい)の場合、
なぜか過剰に、というか妙に幼くその反応が見えるのは、
無生物を恋人にした安定がやはり変だと思ってしまうからか。
たとえばそれが生の熊、の方がないにしても、
犬猫や、逆に車やバイクくらいの無機質さがあるものなら、
わりと自然に見えるのかもしれない。
その場合、破壊者たるおかっぱ男(テラダ、本編では…以下略)は、
ひたすらうるさいだけの迷惑男になるけれど。
ぬいぐるみ、という無生物ながら生物の形をした、
しかも多くの人間が一度は抱きしめた経験のあるもの、という所に
小津とこの話の妙はあるのかも、とか、
無意味な分析をしなくては直視できないくらいなわけです。
血みどろな読み物の耐性は過分にあるくせに、
直球の恋やメルヘンには耐性がどうにも足りないようで。

他八篇中二篇は高校生の話で、
これはこれで小っ恥ずかしくなるんですが、
それは小テストや寄り道や、残り物の花火や進路や…。
とにかく恋愛は別にしたとしても、
あの時代を象徴するような物モノに対する気恥かしさな気がする。
「一緒に勉強しよう」が功を奏するはずがないこと。
進路調査票の提出期限が憂鬱なこと。
あるいは、仲直りがへたくそな者同士の探り合い。
そういうものを自然に思い出させる空気感の描き方が、
たまらなく上手いなあと思う。
人にしても、菓子ばっか食ってる奴はあの頃確かにいたし、
その世話を焼いて小言ばかり言っている相方もいた。
そこに彼らのような感情や関係性があったかどうかは置いておいて。
ぬいぐるみにしろ、青い春にしろ、
自分に近い経験を見聞きするのは恥ずかしいものなのかもしれない。

最後のカラーの短い一篇「凡庸」は、
その色味と終わったと思ったらまだあったことが相まって、
なんだかぞくりとする話でした。
殺してほしいと頼まれて人を殺すことが罪かどうかという議論は、
ナントカという罪の名前をつけられて、
法律上は確か決着しているはずだけれど、
まあそんなことは関係なく、望まれれば、という話はあると思う。
お前を殺して俺も死ぬという話と、
どっちが二人のとって幸福な結末なんだろう、とか
ダメな比較をつらつら考えてながら読んだ。
最後から三コマ目、目も閉じずに涙を落とす残された片われを見ると
片方だけでも幸福なら、その方がマシ、なんて
言えないなあとだけは少なくとも思う。
どちらの結末も回避できるなら、それに越したことはない。

地デジになるまでまだ一年以上はあるものの、
その一年余りの間に「ELECTRO」みたいなことが、
いくつかの屋根の下で起こるのかもしれないと思えば、
「終了します」のアナウンスが悲しく聞こえる…。

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