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2010.04.07 (Wed)

罪と罰3


罪と罰3
(2009/7/9)
フョードル・ミハイロヴィチ・ドフトエフスキー

蝶の羽ばたきで嵐が起こるなら、
人に向かって斧を振りおろすことによって、
引き起こされたのは一体何なのだろう。

ラスコーリニコフにもきっと、
答えは見えなかったのだと思う。


【More・・・】

いよいよ完結。
悪の主人公は御用となるのか否か。
それが焦点のはずなのに、
なんだろう、この主人公にかかった霞は。
ラスコーリニコフの精神は、限界にきている。
誰かによってではなく、自分で追い詰めている。
でもその果てのない煩悶を追うよりも、
あの不可思議な男・スヴィドリガイロフの方が、
どうにも気になって仕方がなかった。
金持ちで女好きで、人を煙に巻くもの言いをして、
好ましい部分がとんと見当たらないのに、
最終的に、ラスコーリニコフよりも印象に残った。
我らが主人公、肩なし。

といえ、主人公の埋没は、
スヴィドリガイロフのせいばかりでもない気もします。
法事の席でのルージンに怒りを覚え、
犬猿の仲の夫人二人の喧嘩にニヤリとしたりしたかと思えば、
カテリーナのあまりに痛々しい最期には、
憐れみを感じずにはいられなかった。
ドゥーニャとスヴィドリガイロフの決別にハラハラし、
男の絶望に胸を締め付けられた。
息子と別れる母の悲痛な叫びには震えが走ったし、
女たちの気丈さには感嘆した。
という訳で、ラスコーリニコフを中心にしながらも、
そのやや外側で起こるあれこれに気をとられ、
まあ結果として、1巻で犯罪に手を染めて以降、
ひたすら自分の中をぐるぐるしている主人公が舞台脇へ…。
さすがに最終盤は彼の舞台でしたが。

罪を犯して錯乱し、そこから奇妙な平衡状態へ移行し、
そして最終的にラスコーリニコフは、
一度死んでしまったように見えた。
もしくは、人を殺す前の状態に戻ったか。
スヴィドリガイロフの最後の旅は、
理路整然とした思考でなされたように見えて、
実際はどこかで、おそらくはドゥーニャが駆け去ったときに、
彼の正気は失われていたのだと思う。
理路整然とした狂気がスヴィドリガイロフの最期なら、
混沌とした正気が、ラスコーリニコフを生かしたのかもしれない。
シベリアに送られてのちも、
彼は自分が分からずに苦しみ続けるけれど、
悶え、病まで得るその姿は、まともそのものだと思った。
少なくとも、二巻の時点の平かな心よりは。

エピローグではことの流れが淡々と語られる。
ラスコーリニコフの内面の変化には踏み込むけれど、
その周囲の人々とはことごとく距離をとっているような気がした。
それでも、ソーニャ、ドゥーニャ、ラズミーヒンの覚悟は、
この主人公にはもったいないくらい清々しい。
結局、この男がしたことは、
少なくともシラミを殺すよりは、大きな影響力でもって、
誰かを絶望させたり、覚悟を迫ったり、
あるいは二次的に殺したりしたんだと思う。
ナポレオンにはなれなかったけれど、
ラスコーリニコフは善悪は別にして意味のあることをした。
それでいいと思うような主人公ではないと思うけれど、
それでいいじゃないかと、悶える男に言ってやりたくなった。

たくさんの登場人物の中で、
一番の男前はポルフィーリーかドゥーニャだと思う。

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