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2010.04.24 (Sat)

パパなんていなけりゃいい


パパなんていなけりゃいい
(1999/07)
キアーラ ゾッキ

子どもの目に見つめられると、
なんだか居心地が悪い。
隠し事をできないような、
してはいけないような気分になる。

それがオルガみたいな少女なら、
前に立つのも嫌になるだろうなと思う。



【More・・・】

天才になるためには、不幸な境遇が必要である。
不幸であればあるほど、天才は磨かれる。
そんなことをのたまわったのは、
某生徒会長のお姉さんでしたが、
主人公オルガの家庭は確かにトホホな感じで、
しかも彼女はそこらの大人顔負けの哲学を持っている。
たとえに用いる言葉は、
まだ幼い少女のそれだけれど、
オルガの目は、
何か真実のようなものを既に見通している気がした。
だからといって、それが境遇のおかげだとは、
全く思わないけれど。
それが何に対してであれ、必要な「不幸」なんて、
そんなものは認めてはいけないと思う。
才能の糧として、父親の投獄や兄貴の死があるとして、
それを喜ぶ者はどこにもいない。

どなりちらす父親と、ろくでなしの兄貴。
オルガの家庭に暗雲をもたらすのは、
多分この二人だったはず。
なのに、父親が刑務所へ送られ、
兄貴が薬に溺れたあげく、病死してから、
つまり元凶たる二人が家庭から消えてからの方が、
オルガの世界は怪しげに色あせていく気がした。
二人の事情を無視して傍から考えると、
家庭は平和になるんじゃないのかと思うのに。
どうやら、オルガにとって家庭は、
いくら不快と面倒と恐怖をまき散らす存在でも、
父親と兄貴がいてこそのものだったらしい。
それは肉親の情とかじゃなくて、
「いなくなる」ことがどういうことなのかを、
身体の感覚として感じてしまう繊細さに依っていると思う。
せいせいしたと言えるような少女なら、もっと楽だったろうに。

二人を失って、その上「天使」まで去って、
オルガの目は家庭の外をより見つめるようになる。
アパートの隣人たち、教会で泣く女、
そして「ママ」ではなく、知らないおばさんになった母親。
彼らが何をしているのか、何を言っているのか、は
大人の目線から見れば、ため息をつきたくなる俗っぽさ。
でも、オルガは彼らの言動をちゃんとは理解できない。
幼さと、大人たちの見栄がそうさせる、
だからこそ、オルガは彼らを軽蔑することもなく、
分からない部分をありたっけの「哲学」で埋める。
そして、彼らの「本当」をずばりと見抜く。
ときに空想のような情景を現実に重ね合わせながら。
こんな子どもの前に立つのは、少し嫌だなあ。
色んなものを見抜かれてしまう気がする。
見抜かれて困るものを持たなきゃいいんですが。

たび重なる喪失を経た後、
オルガの世界は再生の兆しを見せて、お話は終わります。
ただ、その再生の元となるものが、どうも納得がいかないような。
失ったものを埋めるような存在を得る、のはいいとして、
それがつり合っているような気がしない。
まあ、喪失とつり合うなんてことはないにしても、
それでいいのか、オルガ?なんて思った。
なんでそこで彼が現れるのかよく分からないし。
幼いフィアンセは妙にキザだし。
才能ある少女にはもっと相応しい男がいるんじゃないか、とか
なんだか保護者目線で思ってしまった。

学校のことが全く出てこないので、
途中までオルガが不登校児なのかと思ってました…。
ちゃんと小さな社会に参加しているようで
何はどうより、安心した。

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