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2010.05.08 (Sat)

狼たちの月


狼たちの月
(2007/12)
フリオ リャマサーレス

山の洞窟で、
彼らは生きている。
生き延びている。
ときどき、タン、タンと銃声がする。
誰かが命を落とす。

どこまでも透明な物語。


【More・・・】

人が人でなくなると、ケダモノになる、
なんていうことはないと思う。
残忍な行いを指してケダモノのような所業とか、
そんな言い方をするけれど、
だとしても人はケダモノになったりしない。
そもそも人とケダモノの間に差異を認めるなら、だけども。
山にこもり、人から逃げて隠れて過ごして、
ときに略奪を行う自分を、
語り手のアンヘルはまるで害獣だと言う。
夜な夜なさ迷っては、羊を襲う狼のようだと。
でも、その透明な独白を追いかける側から見れば、
ケダモノに堕ちた人間など一人も出てこない。
理念と情と、それから戦う意思に板挟みになりながら、
果てのない逃亡を続ける彼らの姿は、
人間そのものだと思う。

物語の舞台は1937年から1946年までのスペイン、内戦下。
四人の男が山中を逃げている。
彼らの細かい事情はほとんど語られない。
ただ、彼らの孤独と絶望感だけが伝わってくる。
十年に及ぶ逃亡生活の中で、一人また一人と欠けていく。
リャマサーレスさんの文章は初めて読みましたが、
なんでしょう、この透明感。
アンヘルたちが追い込まれた状況だけを見れば、
悲惨としか言いようのないものなのに、
彼らの見ている風景、アンヘルの視線は、
どこまでも澄んでいるように思う。
タン、タンと確かに銃声が聞こえて、
獣や人の血が流れて、いくつもの断末魔が響く。
でも、おぞましさはない。
ただ何か冷たくて、悲しい感触だけが残る。
物語の緊迫感もさることながら、
文章だけで十二分に酔ったようになってしまった。

アンヘルを追いつめていくものは、
しつこい治安部隊や空腹、雪だけではなく、
むしろ一番厄介なのは、その孤独だったように思う。
山に一人になっても、アンヘルは故郷の村とわずかに繋がっている。
山には助けてくれる羊飼いがいるし、
妹夫婦は勇気と忍耐をもって接してくれる。
それでも、アンヘルは孤独に苦しんでいるように見えた。
ときに誰かとベットをともにしても、その孤独は埋まらない。
そんなアンヘルを見ながら、
一人であることと孤独は違うのだと思った。
誰かといても孤独なことはあるし、
その逆も往々にしてあるのかもしれない。
孤独を生むのは、少なくとも人の存在の有無ではない。
では何かと言えば、それはよく分からないけれど。
ただそれが、ときに命に関わることは確かで。
選択肢としての死を考え始めたアンヘルが同時に死期を悟る様に、
そんなことを考えた。

逃げながら戦う男たちの姿は胸を打つけれど、
アンヘルの妹をはじめとした、
彼らの家族の在り方にも背筋を正される思いがした。
弾圧と秘密を守る苦しみをもたらすのは、
まぎれもなく山に隠れる男たちで、
彼らを差し出しさえすれば、全ては終わる。
ただ一言、彼らの居場所ややってくる時間を言えばいい。
なのに、誰もそうしない。
四人の男たちを、その家族が必死に守る。
そこまでさせるものは一体何なんだろうと思う。
情だとか愛だとか、そういうもので耐えられるほど、
十年という月日は短かくない、と
私なんかは思ってしまうけれど。
最後の日、初めて兄を拒否するフアナの痛みに、
そうさせてしまったアンヘルの苦悩に、
どうしようもなく苦しくなった。

夜に動く男たちをずっと月が見ていた。
「あれは死者たちの太陽なんだよ」という言葉に、
彼らの十年の冷たさを想った。

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