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2010.05.25 (Tue)

数えずの井戸


数えずの井戸
(2010/1/25)
京極夏彦

何を手に入れても、
何を失っても、
足りないというその想いだけが残るなら、
日々を過ごすことは苦痛だと思う。

男はその夜、何を斬ったのだろう。



【More・・・】

皿を一枚二枚…と数えるお菊さんは、
名の知れた幽霊の中では、
おそらくお岩さんと一二を争うでしょうが、
実際の所、その怪談の詳細は曖昧でした。
冒頭で説明されている通り、
どうして皿を数えるのか、なぜ井戸なのか。
自分自身いくつか理由を聞いたことがあるような。
まあ、そもそも怪談というものは、
人から人へ伝わる話な以上、
それはあくまで、お話。
元となった出来事とはまた別のもので当たり前。
などど思い、実際冒頭でそう言い含められ、
持っていかれないように心構えをしたつもりでしたが、
700ページを越える一冊を一気読み。
更屋敷で起こった、かもしれない物語に見事にやられた。

「足りない」を繰り返すのが常のお菊さんながら、
ここで描かれる人々の中で、
唯一欠落に苛まれていないのが彼女だった気がします。
逆にいえば、彼女以外の誰もが、
何かしらの欠落か、ただ欠落感だけを抱えている。
物や誉れを欲して渇く者もいれば、
何も欲しくないのに、ただ渇く者もいる。
誰もがその欠落が埋められることを望んでいて、
吉羅嬢がそうだったように、
多分あの夜死んだ者の誰もが、
欠落を埋めることだけが人生になっていた。
そう考えると、偏執狂的な人間が集まり過ぎている気もしますが、
満ち足りている人間がどれほどいるのかと思えば、
もしかしたら、更屋敷で起こったことは、
誰と誰の間にも起こり得るのかもしれない。
二本差しがいないだけ、危険は少ないと思うけれど。

それぞれの欠落一つ一つを、
我が身に投影して考えてみた時、
十太夫や吉羅嬢、主膳のそれはまだ分かる気がする。
褒められたいとは思うし、欲しいものは欲しい。
自分に似た誰かの生き方に憤るのも感覚としては理解できる。
ただ、播磨のそれは、分かるような気もするけれど、
多分分かりはしないんだろうなと思う。
何がどうという具体性を全く欠いたまま、
ただ欠落感だけがあるという感覚。
何を見ても、何をしても、足りない。
主膳なんかからすると、それは虚無や諦観に見えた。
吉羅嬢には、自分だけへの無関心に見えた。
でも播磨の抱えていたものを理解できた者は、
一人もいなかったんじゃないかと思う。播磨も含めて。
その播磨がただ一人満たされていた菊に救いを見たのは、
道理というか、皮肉というか。
血刀を下げて佇む播磨がたまらなく孤独に見えた。

異なる欠落を持ち寄った結果、
全てが更屋敷で粉々に砕け散った夜。
その詳細は語られない。
目撃した者は全て死んでしまったから。
特に怪談の核として語られることになる菊の死については、
誰がどうして斬ったのかも分からない。
だから、想像する。何が起こったのか。
満ち足りていた少女。誰もがそうあれるよう願っていた少女。
どこかした欠けた人々。一度も満ちたことのない男。
読み終わってから、そうして自分なりの物語をして、
やっと何か安心できたような、終ったような気がした。
自分のそれは怖い話にはならなかったけれど、
怪談はこんな風にできるんだな、とか思った。
惨劇は起こって、たくさん人死にが出て、
もちろんあれが最良の形であったはずはない。
でも、流された血の量から考えれば、
そこにあった憎悪は少ないと言えるかもしれない。
そんな所にでも救いを見ないと、やるせなくて仕方ない。

ある分で全部だという菊。
誰もがそうあれたなら、
彼女のいう莫迦だったなら。
無意味な仮定をせずにはいられない。


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