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2010.06.23 (Wed)

数学的帰納の殺人


数学的帰納の殺人
(2009/5)
草上仁

彼らは「である」と記述する。
「なぜならば」「よって」「自明」
疑うなと言外に言う。
あるいは、彼ら自身が疑わない。
なにしろそれは「真」の理なのだから。

彼ら。
教祖と数学の信者。
という話。

【More・・・】

x軸とy軸、ときにはz軸の交わる面上に、
落書きのように描かれた曲線。
それと軸が囲む面積、複数の曲線が囲む面積、
ときには軸の周りでぐるっと回したり、
それらを組み合わせた上で無限遠に飛ばしたり、
作った人間の心がねじ曲がっているとしか思えないような、
意地の悪い問題と格闘していた頃。
「数学的」という言葉は、
著者があとがきで述べているように、
たしかに一種のいかがわしさをもっていた気がする。
思い出すに、数学的帰納法というやつは、
そんなもやもやを感じた最初だったかもしれない。
乱暴に言ってしまうと、
ある仮定をしさえすれば、その先どこまでも命題が成り立つなら、
仮定が正しくないはずがない、という文法の証明法。
何か変な気がする。騙されているような気がする。
同じ言葉を冠する殺人に、同じ気分になってしまった…。

数学的帰納法のいかがわしさはおそらく、
結果のために仮定があるような雰囲気だと思う。
まあ、証明法なんてものは、
証明しようとするがために編み出されるワケで、
結果ありきな感は致し方ないんですが。
ただどうにも仮定→結果→仮定というループが信用ならない。
ここで描かれる「数学的帰納の殺人」では、
あるルールに忠実に支配された集団内で殺人が起こったなら、
悲劇的にそれが連鎖する、最後の一人になるまで。
要はそういう話なんですが、
やはりいかがわしい気がしてしまう。
不自然なルールを敷くための新興宗教団体。
殺人を厳禁としながら、それを許容するためのルールの存在。
破戒の後、忠実であらんがために破戒を重ねる信者。
一部は作中でも指摘されているので、
矛盾とまでは言いきれないんだろうけれど、
やはりどこか歪んでいると思う。
全てが殺人連鎖のためだけに用意されているように見える。
なんだかなあ。

話の大筋はまあ置いておくとして、
その中で動き回る人々のキャラクターには惹きつけられた。
20年を越えて動き続ける仕組みに気づき、
偶然の追跡者として事件に頭を突っ込む主人公は、
人生を諦めてスレてしまっているようだけれど、
どこかでまだ何かが起こることを信じているんだと思う。
散々自分を卑下しながらも、
そんな自分を笑うだけの強さがある。
そして、そのしなやかさの底に、
逆説的に自分に対する希望みたいなものがあって、
中年なのに純情少年な教授との駆け引きや、
恩師や友人だった女たちへの視線が、
乾いているようでガキっぽいのはそのせいなのかもしれない。
だからこそ当事者にはなってほしくなかったのだけれど。

真理という言葉は、魅力的だと思う。
ただの理という以上のものがそこにはある。
それさえあれば、無敵になれるような気さえする。
そして、数学の世界には真理がたくさんある。
だから宗教と数学が結びつくことは、
確かにそう変なことではないのかもしれない。
「0」は発見されたというけれど、
「発見」された以上それは発見以前から存在したワケで、
「0」は人の存在を超えた真理のように見える。
でも、発見されなかったなら、
そんなものは存在しないのと同じで、
人を介さなければ存在さえできないものなんて、
真理と呼ぶには貧弱のような気が自分にはしてしまう。
そんな風に考えている限り、
自分には数学も宗教も、それらが掲げる真理も、
理解できる日は来ないんでしょう、多分。
もっとも、殺人の連鎖に組み込まれるくらいなら、
そんな理解は断固拒否するけれど。

「地獄への道は善意で舗装されている」
善意をもって、なのか
善意を用いて、なのか
最後までよく分からなかった。

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