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2010.07.13 (Tue)



(1999/9)
加門七海

丑の刻に出かけたり、
蛇だの毒虫だのを収集したり、
あるいはお犬様やお狐様に頼ったり。
害なす意思は創意に富んでいる。

リスクとコストに思いを馳せれば、
そのエネルギーと鋼の意思には脱帽するしかない。

【More・・・】

人を呪わば穴二つ、と言いますが、
穴が二つ、ということは、
呪い、成就してますな…。
二つ目の穴が掘られるのは、
どうやら、呪ったからではなく、
一つ目の穴を掘ったから、らしい。
つまり、呪うことそのものは、
咎とはみなされていないのかも。
なんて、よく分からない理屈をこねて、
何とか呪い呪われの不条理を咀嚼しようとても、
結局、残るのは嫌な気分だけ。
やはり、呪いなんてものとは縁遠くありたいものです。

とか、言いつつ、
「蠱」という字の禍々しさを、
全面に押し出した本を自分から手にとって、
それで勝手に嫌な気分になっているのだから、
全く世話ないなと思いますが。
虫が三匹皿に乗ったこの字は、
明らかに尋常の世界のものじゃないし、
御前教授に講義して頂かなくても、
「巫蠱」や「犬神の作り方」は心得てたりする。
実行する気はさらさらないけれど。
表題作の「蠱」の主人公のような、
執着と嫉妬によって誰かを呪うなんて、
そんな面倒なことはしたくない。
誰かを害したいなら、もっと直接的にします。
なんていう人間からすると、
カマキリの蠱毒を腹で養うことよりも、
それを実行してしまう女自体がおぞましかった。

他四篇「桃源郷」「実話」「分身」「浄眼」でも、
誰かが誰かを呪っている。
いや、「桃源郷」は少し違うけれど、
直接手を下さずに、
何かしらの異形の力を借りて目的を成そうとする辺り、
何だかどれも行為よりも行う人の意識が恐ろしかった。
「桃源郷」では、「即身仏」を使って、
はるかな未来の幸福を手繰り寄せようとしている。
「分身」では、幸福への願いが、
易々と人の世界をはみ出して執行される。
願うことには何の罪もないけれど、
その過程や方法を選ばない姿勢が、
たまらなく気持ち悪かった。
誰も躊躇しない。迷いなく、人を外れていく。
まるでそうさせてしまう願いそのものが悪であるような、
変な錯覚まで起こしそうになってしまった。

とはいえ、実際のところ、
人外のモノが活躍(?)したのは、「実話」だけで、
他はやはり根源は人の中にあったように思う。
呪うだけでは、呪いは成就しない。
呪う思いと、やましさを抱えた心に、
少しばかりの異形のシステムが作用したとき、
それは現実の力となって、害を成すのかもしれない。
ならば、四篇の中で実現してしまったことは、
呪った側ばかりの咎ではなくなる。
カマキリに食われるのも、ミミズに這われるのも、
多少は故あってことということになって、
ますます気分が落ち込んだ。
やましさを全くもたずに生きることなんて、
ほとんど不可能でしょう。
誰もが、呪い呪われる仕組みの一部になる可能性がある。
あな恐ろしや。

御前教授の、全くの興味本位の姿勢が、
どろどろした呪いの渦中にあって、
逆に清々しかった。
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