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2010.07.22 (Thu)

誰がこまどり殺したの


誰がこまどり殺したの
(1996/1)
篠原一

正気を保つために、
正気を定義してはいけない。
それは自分の正気を疑うことそのものだから。

一度疑ってしまえば、
狂っていないことの証明など、
できっこないことに気がついてしまう。

【More・・・】

「狂う」というのは、
どういう状態をいうんだろう。
専門家に尋ねれば、
明快に答えてくれるのかもしれませんが、
素人が感覚的に考え始めると、
どうも概念とかというもののどつぼにはまって、
答えなんてものは出ない気がする。
常軌を逸する、と言い換えればまだ分かる。
それは属する社会の規範から逸脱。
そうみなされてしまうだけで、
誰もが簡単に「狂」える。
結局のところ、どう見られるかだけが、
正気かどうかの基準なのかもしれない。
確かにそこにいるのに、
ここならぬ場所で邂逅する少年少女の物語を読みながら、
ぼんやりと自分の立っている地面を思った。

少年たちは、幻想の中を生きている。
ある者は夏の日差しに捕らわれ、
ある者は水槽に囲まれながら、
背中に羽の戻るときを待っている。
本来はおそらく、彼らの世界は繋がっていないのだと思う。
それぞれがそれこそ勝手気ままに、
現実を離れて、あるいは踏み外して、
近くと遠いどこかに遊んでいる。
起きているのは、本当はただそれだけのこと。
でも、ほとんど奇跡のように、
彼らの逸脱した世界が一致してしまう。
「狂った」世界の中で、
彼らは互いを認め、不完全ながら理解し合う。
理解し合うことは、必ずしも幸福なことではないらしい。

とまあ、他人の夢の話を聞くような物語を、
なんとか脈略を探して理解すると、
そんな風になるわけですが、
やはりどうも釈然としないというか、
どこを読んだらいいのか分らないというか、
何を読んだの判然としない気分になりました。
描かれる情景は現実的な要素で構成されているのに、
どこにも現実感がないという不可思議。
狐に化かされた気分というのはこんななんだろうか…。
そういうものだと割り切って、
幻想の世界に遊んでみようかと思いもしましたが、
妙なところで辻褄が合ってしまったり、
説明的な情景の反芻に出くわしたり、
登場人物ほどには遊びきれなかったような。
高飛車なもの言いをすれば、なんだか惜しい。

幻覚のような情景の中で、
けれど確かに人が死んでいる。
彼らの言わせれば、獣になりそこなった少年が。
その死は一体何だったのだろうかと考えて、
もしかしたら、というかもしかしなくても、
その死、その少年の存在自体が、
彼らの世界だけのものだったのか、と思い至った。
彼の身体は斎場で煙になったらしいけれど、
それをそうと認識している少年と少女は、
明らかにこちらの世界には住んでいない。
そう考えていくと、本当に存在しているのは、
誰と誰なのかも分からなくなった。
Mの名をもつ女はおろか、
彼女を殺した少年自体も誰かの幻覚なのかも。
これは一体誰の夢なんだろう。

足元の覚束ない幻覚の中で、
イリュージアというゲームの仕様だけに、
時代を感じた。

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