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2010.09.26 (Sun)

黒猫ひじき


黒猫ひじき
(2006/3)
西村玲子

一緒に生きてきて、
たとえ一緒に死ぬことはできなくても、
同じように老いていける。

そういう存在を伴侶と言うのなら、
三角耳の彼らは、
人の伴侶として申し分ない。

「おこがましい」と、
当の彼らには怒られそうだけれど。

【More・・・】

名づけ、というものは、
本当に感性だと思う。
まさにネーミングセンス。
我が子に名を与えるにしても、
幸福な苦悩があるのだろうけれど、
それが他人の子の名づけ親とかだったら、
悩みは更に深い、ような気がする。
そういう習慣が日本に残ってなくて良かった。
特に頼まれるあてもないにしても。
でも、伴侶にも我が子にもなる獣に、
名を与えるのも、一つの悩みどころかも。
まあ、往々にして安易なところに落ち着いて、
本当に安易、などと笑い合うことになるのだけれど。
黒猫に「ひじき」。
安易で渋くて、素晴らしい名前だと思う。

西村さん家のひじきのエピソードには、
どれも、ああそうそう、と頷いた。
ソファや壁に頭突きを食らわせながら眠ったり、
遊び道具を枕の周りに陳列してくれたり。
年を取ってジャンプできなくなって、
よっこらせとベットに上ってくる所なんか、
あまりに身近過ぎて、
なんでもないことなのに泣けてきた。
そういうエピソードは多少のバリエーションこそあれ、
おそらくどこの猫も似たり寄ったりで、
そのこともベテランの猫飼いは知っている。
それでも、西村さん自身がなんども書くように、
可愛いのだ。愛しくて、どうしようもない。
「うちの子が一番」というセリフには、
何の見栄も虚飾もない。
何を隠そう、私自身がそれを知っている。

犬猿の仲という言葉が、
どれくらい真実なのかは知りませんが、
犬と猫が対立関係にあるなんて、
多くの猫飼いは信じていないと思う。
西村さん家のかすみちゃんのような、
小さなチワワが相手でなくても、
猫は犬を友にも親兄弟にも、
時には下僕にもできる。
猫同士、犬同士がそうであるように、
結局相性なんでしょう。
だから、相手を失ったときには、
種族を越えて喪失感をもつものだと思う。
本当のところ何を思っているのか、
それは決して人にはわからないけれど、
少なくともかすみちゃんを失ったひじきの描写には、
ひたひたとした悲しみを感じた。

野良には自由があって、
もしかしたら彼らにしたら、
そうして生きる方が本望なのかもしれない。
でも、人と出会い暮らすようになったなら、
年を取って、そのために死ぬのが、やはりあるべき姿だと思う。
そうあって欲しいと願ってしまう。
「飼う」ということは、
与えることではなく、奪うことなのだと、
西村さんの猫に対する姿勢は言っているようで、
背筋を正される思いがした。
自由を奪い、色んな制約を加えて、
人の勝手な願いの元に置くこと。
だから、「飼う」のならば、
こちらも何かを差し出さねばならない。
たとえば、まっさらな障子とかベットの三分の二とかを。
それでも彼らとの暮らしは、
与えるのの何倍も与えられるものだと思うけれど。

それにしても、
踏切の向こうの猫を呼ぶなんて、
本当に無茶だなあ。

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