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2009.05.13 (Wed)

にいさん


にいさん
(2008/3)
いせひでこ

にいさん、と弟・テオは呼びかける。
兄・ゴッホは答えない。
それでも、にいさんと彼は呼ぶ。

兄の棺がすすむ麦畑
それを覆う空に向かって。


【More・・・】

ゴッホとテオの兄弟について何の予備知識もなく
ただ、表紙のひまわりと少年の絵と
兄貴でもお兄ちゃんでもない、「にいさん」という響き。
それらに惹かれて手に取ったわけですが
いやはや、とんだものに出くわしちまった、という感じです。

絵が、いい。
特に麦畑と兄弟の両方が同じ画面にいるときなんかは
しばらく呆けてしまうほどに、惹かれます。
暗い色の雲と麦穂の間に挟まれて走る少年たち。
兄であるヴィンセント・ヴァン・ゴッホは空ゆくヒバリを嬉しげに見上げ
弟のテオドルス・ヴァン・ゴッホはそんな兄を追いかける。
葬列から始まる物語は、全ての場面にテオの悲しみが透けるようで、
読んでいて苦しくなった。
それでも、この場面は奇麗だと思う。

「手をふりながらいつも笑っていた」ゴッホ。
それは自分のもっている彼のイメージからあまりに遠い。
でも、物語全体を通してみれば、
それが彼の本質だったのかも、とも思った。
子供時代に本質がある、なんていうのは安直な気もするけれど。

ゴッホといえば、ひまわりに憑かれた画家だと思っていたので
ひまわりを描くときだけは、彼は幸福の内にいたのだ、とくるのかと思いきや、
いせさんの描くテオはそんな兄を
「未知の土地で、きみは熱病のように、勇気をふりしぼって描いたのだった。
 ひとりぼっちを忘れるために。」
と言う。孤独だったのだと。
どうして、と思う。考えても詮無いけれど。
絵が認められなかったからなのか。父親と和解できず、弟ともすれ違ったからか。
ゴーギャンとでさえ理解しあえなかったからなのか。
命の象徴のようなひまわりと、孤独。
自分の中では相いれない二つが、ゴッホの中にあったという。
わかるようで、実感としてはよくわからない。
でも、無根拠に、きっと彼はそういう人間だったんだと、
納得した面も確かにある。

ゴッホは、画家だから
作品の中に彼の真実を見つけるのが一番正しいのかもしれないけれど
誰かにとっての誰かの像という形も
あながち間違ってはいないのかもしれない。
そう思えるほど、自分の中をがっしり掴まれた気がします。

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