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2010.10.01 (Fri)

バッド・エデュケーション


バッド・エデュケーション
(2005/03)
ペドロ アルモドバル

思い出は朽ちる。
手を伸ばしただけで、
日の下に晒しただけで。

だから、鍵をかけてしまっておこう。
たとえ抽斗の奥から、
悲鳴や殴打の音が聞こえても、
現実を食い殺されるよりはずっといい。

いい、はずなのに。

【More・・・】

なんて訳したらいいだろう、とか
翻訳家でもなんでもないくせに考えてしまった。
「バッド・エデュケーション」
悪い教育、邪な教え、悪影響…。
ぶっ飛んで「いけない授業」とか?
…人間無理をするもんじゃないですね。
内容を考え合わせると、
この英語の響きがやはり最適なような。
でも、最終盤で何度も繰り返される「パッション」や、
題名の「エデュケーション」が示すものを、
はっきりと捕えようとすると、
どうしても母国語に落とし込んでしまって、
なんとも不自由なもんだなあと思う。
そんないらないことを考えた。

元々が映画のノベルズ版で、
しかも話自体が三重の入れ子構造なので、
うまく書かれているとはいえ、
若干混乱してしまった。
映画と現実、兄と弟、
そして遠い初恋と現在の痛み。
それらが劇中劇の中の劇中劇に重なって、
どこに本当があるのか見失いそうになった。
俳優たちはいわずもがな、
エンリケもアンヘルも誰か、
特定の誰かではなく、
そうありたかった何者か、
あるいはそうであるはずの自分を、
演じ続けているようにも見えて、
ずっと芝居を見ているような気もした。

性を自覚する以前の恋。
イグナシオとエンリケのそれは、
恋と呼べる代物だったのか、
ただ適当な所に適当な相手がいて、
お互いの目覚めとして発生した何かではないのか。
まあ、そんな爛れた疑問は、
少年たちの魅力の前に霧散するんですが、
それでも大人になった彼らへの失望は別にして、
ひたすらイグナシオに執着する神父の方が、
何か真実に近いものをもっているように思うのは、
多分、少年たちへの嫉妬とか色々の結果なんでしょう。
「愛していた」なんて言葉は、
かの神父は言うべきじゃなかったんだと思う。
たとえそれが本当でも、その結果やっていることに関しては、
イグナシオの痛罵が全面的に正しいわけで。
結局、みんな自分だけの幻想を見るばかりで、
誰も誰かを愛してはいなかったんじゃないか、なんて
そんな殺伐とした印象をもってしまった。
いい加減自分の性根が腐っている。

エンリケからすれば、
フアンは初恋の思い出を歪めただけでなく、
今現在も卑怯で場当たり的な振る舞いばかりする、
そんなしょうもない男に映っているんだと思う。
元神父のあの男から見ると、
思い出と欲望を満たしてくれる悪魔。
実際フアンの行いは、
愚かで卑怯で、魅力的なのは演技だけ。
でも、この弟こそ哀れでいたたまれなかった。
何しろ、誰もフアンを見ていない。
母親も神父もエンリケも、あの兄の代替として、
ただの魅力的な影として、彼を見ている。
舞台に上がっても、大作の中で大根にしかなれない。
エンリケの見方ももっともだと思うけれど、
フアンはただ求められる者になろうと、
必死にあがいていただけだったようにも思う。
「今に見てろよ」なんて、哀し過ぎる。

イグナシオの一生もその最期も、
確かに悲しみと痛みばかりだったけれど、
それでも彼は、エンリケに再会できなくて、
そこだけは幸運だったんだじゃないかと思った。
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