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2010.10.22 (Fri)

くらやみの速さはどれくらい


くらやみの速さはどれくらい
(2004/10)
エリザベス ムーン

ルゥは見つめる。
「ノーマル」から外れた自分を、
いたるところに散乱する、
「ノーマル」の枠組みを。
そして考える。

彼の選択は全て、その先にある。

【More・・・】

世間と折り合いをつけるのは、
おそらく誰にとっても容易ではない。
そこには自分とは異なる他人がいて、
慣習やら何やら、
面倒なものが散らばっている。
まるで罠のようだと思う。
踏まないように気をつけなければ、
あっという間に枠の外に弾かれてしまう。
だとしても、それはできて当たり前、一人前。
社会の一員でありたいなら、
そうしなければいけない。
ルゥの思考と彼の日常を追っていくと、
滑らかに生きることはなんて困難で、
この人はなんていう自律と忍耐の人なんだろうと思う。
おそらく多くの人よりたくさんの罠が仕掛けられた道を、
ひたすら真面目に誠実に一歩一歩進む。
真っ当な生き方というのは、こういうものなんでしょう。

今から少しだけ先の未来の社会。
自閉症は幼児期に治療されるようになって、
大人の自閉症者の「最後の」世代をルゥは生きている。
上の世代には治療をするには遅すぎる者が、
下の世代には自閉症ではなくなった者たちがいる。
ルゥの一人称で語られる世界は、
鮮烈な色と音と匂いに満ちていて、
自分の感覚との違いに最初は戸惑ったけれど、
家と会社とフェンシングの間を行き来しながら、
自分や仲間のこと、社会のこと、
「ノーマル」の人たちのこと、将来のこと、
とにかく一瞬の隙もなく思考しつづけるルゥに、
圧倒されながら、惹かれた。

ルゥの中には何重ものフィルターがあるように見える。
感じたこと思ったことを、
そのまま言動に映す人間なんか皆無だろうけれど、
ルゥのそれはその程度のことではなく、
ほとんどの思考が何度もろ過と変形を経て、
やっと外に出されているような気がした。
そうしてやっと、ルゥは社会生活を営める。
多分そのフィルターは彼の少年・青年時代に、
外から求められて生成されたものなのだと思う。
その「教育」と「訓練」のおかげで、
ルゥは自分で稼いで誰の世話にもならずに生きていける。
幾ばくかの「ノーマル」の人々からは好意を向けられる。
それは幸運なことなんだろうとは思う。
でも「ルゥ」とは誰なのか、誰だったのか、
決断した後の最終章のルゥを見ると考えてしまった。
トムが親しみ、マージョリが愛し、ドンが憎悪したルゥ。
「しかし自閉症がこのぼくなのです」
ルゥの同僚チャイの言葉が沁みた。

「ノーマル」という言葉が懐疑的に、
けれど同時に羨望をもって使われるのは、
ルゥを主人公とする以上当然の成り行きな気がするけれど、
読んでいる間、「ノーマル」なんて存在しない、という言葉を
何度も頭の中で唱えた。
でもそうしながら、ルゥのパターン認識や記憶の力を見、
その人格の貴さに嘆息して、
一瞬後に「もしこれで普通の人だったら」と、
自然に考えている自分に気づいて、少しばかり呆然とした。
全くもって何にも分かっちゃいない。
ルゥの中にフィルターをこさえさせた活動も、
セクションAを変えようとするクレンショウの行動原理も、
多分「ノーマル」の存在を認めない一方で、
誰もが「ノーマル」であることを求める思考に端を発している。
どこまでも癪に障るクレンショウだけれど、
自分も彼と何も変わらないらしい。
全く、嫌になる。

常に光の前にある暗闇。
とりあえず、そこにある暗がりを見つめて、
光がやってくるのを待つことから始めなければ。
なんて。

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