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2010.10.28 (Thu)

逃れの森の魔女


逃れの森の魔女
(2000/02)
ドナ・ジョー ナポリ

グレーテルは魔女を竈に突き飛ばす。
そして財宝を持ち帰って、
みんなで幸せに暮らす。

では魔女は?
彼女はなぜそこにいて、
そんな風に死なねばならなかった?

「彼女」の人生を追う。

【More・・・】

「おはなし」にはおかしなことがたくさんある。
大人になって気づくより前、
寝物語として聞いたときから、
え?それおかしくね?的なことくらいは、
誰だって思ったことがあると思う。
どうして優しい老夫婦は子宝に恵まれないのか、
どうして悪者は総じて頭が回らないのか。
子供の頃に親しんだわけでもなく、
文化的にも異なるグリムやアンデルセンの童話は、
そういう疑問をさらに感じさせた。
理不尽で気味が悪い話ばかりだった。
その疑問に答えるのは、
もちろん作者本人が一番ふさわしいんだろうけれど、
パロディというのも強力な語り手らしい。
「ヘンゼルとグレーテル」の残酷さと、
魔女の愚かさの真相が明かされた。

ヨーロッパがもつ「魔女狩り」という負の歴史。
それにかこつけてパロディを書けば、
話は簡単だし、真実味も増すんだろうけれど、
書き手はそんな安易な方法はとらない。
彼女は本当に悪魔とやり取りをするし、
サランマドラーやイタチに姿を変えたり、
人間の子供を見て舌舐めずりもする。
魔女は本当に魔女で、でも悪人ではない。
自分の子供を愛し、慈しみ、
他人の子供が活き活きとする様に喜びを感じる。
多分彼女はこの時代の普通の母親よりも、
余計に愛情と信仰心をもっている。
単純にその姿勢には畏怖のようなものを感じた。
何かにつけて神の視線を感じ、
悪魔を憎み、人の弱さを許し受け入れるなんて、
まるで聖女のよう。でも怖い。
仕える者が違うだけで、聖女も魔女も同じなのかもしれない。

彼女は神に仕える者だった。
そうなる以前はただの産婆で、
よそ者であることの疎外感と醜い容姿を半ば諦めて、
それでも村の共同体になじんでいた。
貧しくても、なんとか食べていけて、
孤独は可愛い一人娘と産婆への感謝の念が埋めてくれる。
それでいいと思えたなら、
誰も不幸になどならなかったのに。
心の底から神に仕え、
悪魔の命に従うくらいなら自殺も辞さない信徒が、
ほんの少しの功名心と過分な母の愛を持っただけで、
全てを奪われて火にかけられる。
彼女を捕え糾弾したのは村人たちで、
もちろんそこには時代の空気があった。
でも、ほんの少しの過ちも許さない神そのものが、
彼女には悪いけれど、性根が曲がっていると思う。
「逃れの森」へ追いやられても、
決して神への愛を捨てない彼女への気味悪さは、
私自身の「神」に対する疑心に依っていんでしょう。

彼女が築いた哀しい「お菓子の家」に、
あの子供たちがやってくる。
子供を見れば食い殺したくなる悪魔の力を、
それでも一月以上押さえられたのは、
一重にこれも彼女の信仰心の賜物で、
ここまでいくとさすがに感服した。
「悪魔」よりは「鬼」の方が馴染み深いので、
あまり考えたこともありませんでしたが、
奴らの本領はその物理的な力よりは、
甘言と術策の方にあるらしい。
ヘンゼルとグレーテルの反応と心根は、
かなり普通、むしろ善良な部類なんだろうけれど、
悪魔にかかればあっという間に薄情で冷酷な子供に。
それでも悪魔を信じず、子供たちの善良さを信じて、
自分と二人にとって最善をなそうとする「魔女」
その結果が「ヘンゼルとグレーテル」に繋がっていく。
全く、うまいこと創ったものだと思う。

聡いグレーテルと、
ちょっとおバカなヘンゼルの姉弟。
この物語の二人が童話の通り幸福になったなら、
彼女も救われるかもしれない。
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テーマ : 読書感想 - ジャンル : 本・雑誌


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