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2010.11.27 (Sat)

LOVE


LOVE
(2005/9)
古川日出男

苦しかった昨日も、
苦しい今日も変わらない。
苦しいだろう明日からは逃げられない。

それでも新しい場所へは行ける。
見知らぬ誰かが、
そこへ連れて行ってくれる。

さあ、街へ出よう。


【More・・・】

キャッチコピーを考えるとき、
二人称を使うことが、
一つのやり方だという話を聞いたことがある。
そう言われてみると、
たとえば流行りの歌の中で、
「きみ」や「あなた」や「you」がない歌は、
探し出すのが難しい気もする。
愛の告白のときくらいにしか聞かない、
他の誰でもない自分に向けられた言葉は、
日本語の日常会話では、
一人称以上に省略されがちだからこそ、
その分人の心をつかむのかもしれない。
なんてことを考えながら、
幾人かの「きみ」の物語を読んだ。
「きみ」と呼ぶ誰かも「きみ」自身も、
読み手にとっては他人に違いないのに、
「きみ」と言われる度に、ついはっとした。

今まで全く接触のなかった人々が、
偶然の連鎖で発生した必然によって、
ある日のある瞬間に邂逅する物語。
ざっくり言うとそういうことなんだと思う。
物語の始まりが出会いであることはよくあるけれど、
大きく分けて4つのその瞬間は、
どれも物語の最後に起こる。
ときには出会いにも満たないただの接触によって、
「きみ」の物語は終わる。
少なくとも「きみ」を呼ぶ語り手が語る部分は。
あとがきに書かれている通り、
その後も「きみ」たちの人生は続いていって、
そちらの方にこそ波乱万丈がありそうな、
つまり物語的がありそうな場合もあるのに、
そこは語られない。
人と人が出会うまでの必然だけを
丹念に追いかけていく。
言葉の切れ同様、全く潔い。

彼らの出会いまでの動きを見ていると、
なぜか遠心分離機を連想した。
お互いが明後日の方向を向いて、
まとまりなんて皆無の状態だったのが、
ぐるぐるぐるぐる回されて、
更にぐちゃぐちゃになりそうなのに、
気がつけばぴたりと収束している。
その一点に関与する人たちが揃う一方で、
関わらない人たちが物語の外に追い出されるような。
一点に向けて収束していく様は、
もう見事としか言いようがないけれど、
なんだかその「物語」として、
人が分離されていくのは寂しい気がした。
まあ分離された後でまた撹拌されるので、
一瞬のことなんだけれど。
何の話か分からなくなってきた…。

誰の物語も好きだけれど、
オリエンタの物語「キャッター/キャッターズ」は、
物語の始まりの物語、のようで、
この先に明るいものが待っている気がして、
本の最後にほっとできて良かった。
オリエンタはこの先も処刑人であり続けるし、
黒澤カズヤが勢力争いに負けた事実も変わらないけれど、
彼らの邂逅は多分希望に繋がっている。
息苦しい場所を見限れなくても、
新しい場所を見つけることはできる、というような。
そういえばジャキもカナシーも、
そうやって新しい場所を発見したのかもしれない。
カナシーはそっちへ移ってしまったけれど。
そうすると、やはり出会いは始まりなのか。
収束した一点で何かが変わって、
再び拡散した後も繋がりが失われないなら、
破滅に繋がる物語的出会いも悪くない。

猫を数える人々の目の良さは、
まるで猫のようだと思う。
彼らを見ることよりも、
多分見られていることの方が多い。

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