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2010.12.11 (Sat)

アヒルと鴨のコインロッカー


アヒルと鴨のコインロッカー
(2003/11/20)
伊坂幸太郎

途中から本を読んだりはしない。
1ページ目から最後まで、
順にめくっていかなくては、
気持ちが悪くて仕方がない。

とはいえ同じ理屈を、
現実の出会いに当てはめることは、
誰にとっても不可能だろう。
自分の物語以外では。


【More・・・】

始めたことは終わらせなければいけない。
その選択を迷わせるから、
途中参加はあまり歓迎しない。
なんて思っていたんですが、
どうやら何か分からないうちに、
誰かの物語に途中参加してしまった、
哀れな語り手・椎名を見ていると、
途中参加でないものなんて、
自分の人生くらいしかないんだなと思った。
たとえば人類の歴史が相手なら、
始めから参加している者はもはやいない。
そもそもその人類自体が、
地球の営みの中途参加者なわけで、
おそらく最後を目撃しないまま退場する。
そうするとこれは普通の物語なんだと思う。
人と人が出会って、お互いの物語に途中参加するという。
せめて最後だけは共有できた椎名は幸運だ。

現在の椎名の物語と、
2年前に始まった川崎・琴美・ドルジの物語。
二つの物語を行き来しながら、
一方の物語は終わりへと進んでいく。
最初のうちは妙ちきりんな状況と、
椎名の巻き込まれ体質に笑っていたものの、
過去と現在の間で交叉しない部分に気がつくと、
途端にどちらの物語を追っていても、
嫌な不安にそわそわするようになった。
2年前にいた人が、今はいない。
それが意味する状況は、
最悪以外にもたくさんあるんですが、
どうしても暗い方向へと想像がいってしまった。
2年前の物語の中心人物たち3人を、
それぞれに好きなってしまったので、
なんだそんなことか言えるような、
能天気なだけの結末であって欲しかったんですが、
そうは問屋が卸さない。でも悲劇なだけでもない。
その辺り、さすがだなあと思う。

物語の点だけを見ると、
多分3人の物語は悲劇なんだと思う。
病と事故で全員が不幸に見舞われて、
琴美さんの怒りは半分くらいしか報われない。
償うべき人間は死に逃げ。
でもそうして彼らの物語が終わったとき、
暗澹とした気分にはならなかった。
それは琴美さんの最期の語りに、
少しも悲壮感がなかったことや、
ドルジと川崎が過ごした喪失後の日々が、
目的はどうあれ建設的で前向きだったこと。
またそれ以上に、彼らの物語が変化を遺したこと、
大げさに言えば世界を変えたことが大きいと思う。
たとえば麗子さんは2年前と今で変わっている。
そして変わった麗子さんがまた誰かを変えつつある。
なんとも健全で貴い連鎖だと思う。
だから悲劇や痛みが報われる、なんてことはないけれど、
変えられるということが嬉しかった。

3人の物語は終わったけれど、
この後も多くの途中参加の人々の物語は続いていく。
椎名は進路を決めて靴屋になるかもしれないし、
麗子さんのペットショップでは、
あの元・嫌な客、現・店員の彼女が、
どういう訳だか働き続けるんだと思う。
もっと裾に目をやるなら、
山田と佐藤も、クロシバも、
それぞれの物語を続けていく。
いつも誰かの物語に途中参加しながら。
傲慢ながら、もしもそういう情景を鳥瞰するなら、
生きることは、なんとも可愛い気がする。
さすがにドルジのように
前世も後世も含めてものを考えることは難しいけれど、
少しだけ離れて生を見れるようになれば、
あの愛すべきブータン人に近づけるかもしれない。
標高の高い場所に行ってみるか。

ドルジのようなブータン人像が、
架空のものであったとしても、
やはり一度あの国に行ってみたい。

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