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2011.01.08 (Sat)

西巷説百物語


西巷説百物語
(2010/7/24)
京極夏彦

船頭は船を繰る。
此岸に残る生者と、
彼岸で待つ死者の想いを容れて。

棹さばきに迷いはない。
ただ悲しみと願いだけがある。
だから、問う。
本当にそれが本心か、と。


【More・・・】

どうにもならないことはたくさんある。
壊れた物は元には戻らない。
死んだ者は生き返らない。
人と人の関係にも、後戻りできない破綻はある。
又市や林蔵が商う仕掛けの、
『「どうにもならないこと」をどうにかする』は、
「どうにもならないこと」を「終わらせる」ような、
そういうことなのかもしれないと思った。
どうにもならない、という事態は、
つまりは八方ふさがり、停滞なわけで、
彼らの仕事は堰に穴をあけたり、
器をひっくり返したりすること。
あふれた水がどこへ向かうにしても、
仕掛け人は見届ける責任を負う。
見届ける以上のことができないそのこと自体が、
「どうにもならないこと」なのだとしたら、
その立ち位置はあまりに悲しい。

又市の兄弟分として、
特に「前巷説百物語」で腕を奮った林蔵が中心のお話。
ちゃんと時系列を確認していませんが、
この「西」は「前」の大分後で、
一冊目や「続」と同時進行あたりの話のよう。
ということに気がついたのは、
後ろから二つ目の「豆狸」辺りなんですが。
てっきり「前」のまだ前の話で、
やがて又市と林蔵が上方を追われる話が出てくるものと。
まあ、最後の「野狐」ではその辺りが明らかになり、
又市や百介も出てきて、やたらと懐かしくなった。
「後」を読んでからというもの、
又市や同業の小悪党の影を見るだけで、
なんだか今は亡き人に再会したような気分になる。
此岸と彼岸を行き来する靄船の船頭にしても、
その仕掛けの見事さに感嘆しながらも、
「これで終い」の言葉にいちいち悲しくなった。

林蔵の仕掛けには、
あまり大掛かりな装置は使われない。
妖怪という要素もそれほど前には出てこない。
その辺りからして又市とは違うけれど、
何より最後の問答が林蔵なのだという気がした。
仕掛けがそこまで進行してしまったという、
そのことだけでは、
この男は彼岸へ誰かを渡せないんだと思う。
いくつもいくつも別の道を用意し、
様々な人間の顔を借りて問いただし、
自分で手配した最悪を回避してくれるよう祈る。
林蔵は多分、人を信じたがっている。
仕掛けを台無しにする危険さえ侵しながら、
毎度律儀に「それでいいのか」と問うのは、
裏切られることを期待しているからだろうと思う。
又市にもそういう部分はあるけれど、
過去のしくじりを重々肝に銘じた上で、
それでも問い続ける林蔵は、
青臭いを通り越していっそ見事だと思う。

仕掛けの巧妙さで言えば、
「遺言幽霊 水乞幽霊」と
「野狐」が上手い気がしますですが、
それとは別に「鍛冶が嬶」はなかなか後を引く話でした。
鍛冶屋が「鍛冶が嬶」の伝説を考察するくだりで、
何が起きているのかは大体見えたものの、
良かれという想いしかなかった男が、
最後に渡ってしまった場所は、
ことの重大さから言えば仕方ないとはいえ、
どうにもやるせなくなってしまった。
この件に関して林蔵はほぼ何もしていない。
依頼があって、事情を聞いて確認して、
これ以上死人が出ないようにして、
そして、最後に刀を差し出しただけ。
鍛冶屋も林蔵も武士ではないけれど、
あれは介錯だったのではないかと思う。
誰かを代弁して、死ね、と思ったわけでも、
死ぬしかないだろうと諦めたわけでもなく、
ただそれを選ぶならば、返り血には汚れてやる。
林蔵の覚悟を見た気がした。

最初は多少読みにくかったものの、
慣れてしまえば心地いい。
そしてやや可愛い、上方言葉。
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