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2011.04.15 (Fri)

椿びより/椿だより


椿びより
(2009/5/28)
イシノアヤ

布団にもぐり込んで、
眠りに落ちるまでのわずかな時間、
今日一日を思って微笑めるのなら、
明日への不安など、
忘れられるかもしれない。

もしもその上川の字で眠れるなら、
きっと悪夢など見ないに違いない。


【More・・・】

おぼろげな記憶を辿るに、小学校低学年の頃、
「お母さん、あのね」という宿題があった。
その書き出しから始めて、
今日一日のことを日記的に書いて、
親に読んでもらってサインを貰う、というもので、
お母さんのいる子ばかりじゃないのに、
無神経にも「お母さん」と題をつけ、
「あのね」なんて子供っぽい言葉を強要して、
その上仮にも日記を親に公開させるなんて、と
内心でそんな宿題を出す先生に苛ついていた。
思い出してもあまり良い宿題だとは思わないけれど、
それでも意図は分かるようになった気がする。
今日一日あったことを思い出すこと、それを誰かに報告すること、
何よりそれを聞いてくれる相手がいることは、
とても、本当にとても幸福なことなのだと思う。
二人の男に「毎日」を見守られながら、
まっすぐ健やかに育っていく史生ちゃんを見ているとそう思う。

中学の同級生同士が再会して、
なんだかんだと交流を続けていくという、
いわばそれだけのお話で、本当にそれ以外何も起こらない。
でも、「椿びより」の冒頭、「であいのころ」と
「椿だより」を比べてみると、確かな変化があって、
彼らの間に月日が流れているのを感じた。
流れている、というより積み重なっている。
目に見える変化としては、
史生ちゃんは明らかに大きくなっているし、
椿は少しもしゃもしゃが小さくなった。
平岩は…渋みと可愛げが増したかもしれない。
そんな変化の中でああそうかと思ったのは、椿の言葉遣い。
最初に公園で史生ちゃんと会った時、
椿は小さな女の子に対する喋り方ではなくて、
本当に素の若者的に話しかけていると思う。
でも徐々に、平岩を含めて交流する内に、
椿は距離を縮めながら、子供への接し方を学んでいる気がする。
その変化が史生ちゃんの成長と同じくらい愛しい。

手に職をつけて、いわば自分の力一つで生きていても、
実家には騒がしい家族がいるし、
納入先や友人たちともうまくやっているし、
椿は孤独な人間ではないのに、
「椿びより」の最終回「春」で、
平岩の無造作な言葉に、泣いてしまう椿の気持ちが、
最初はいまいち分からなかった。
でも「椿だより」も含めて何度か読み返すうちに、
優しい、というか情が深いのは、
本当に草食獣のような椿ではなく、
淡泊で無造作に見える平岩の方なのかもと思った。
相手は自分を覚えてもいないのに、
同級生だというだけで「何かあったら来い」と言う。
大事な一人娘との家の中に、
椿を受け入れてなんでもない顔をする。
そして「家族みたいなもん」と言ってしまう。
他人のはずの人間にそう言えるなんて、本当に凄いことだと思う。

外見も仕事も物腰も、
まさに草食系な感じの椿だけれど、
一人言のときは「ぜ」とか「じゃんな」とか言ったり、
最初から最後まで一人称が「俺」だったり、
ついでに言えばちゃんとすね毛生えてたり、
散々女の人っぽいとか王子様とか言われても、
椿太郎は男なんだなあと思う。
それがとなんだかとても好ましかった。
自分が好きなものしたいことに対して、
全く後ろめたさを持たないことは、
それが少数ならその分だけ難しいことなのに、
椿はありたいようにあることを、
全く怖れていないのだと思う。
そもそも後ろめたく思わなければいけない理由さえ、
認識していないような気がする。
それは単純に子供だとかいうことでは決してない。
まあ若干天然なのは否めないけど。

平岩と史生ちゃんと椿。
椿が何に気がついても、
この距離感のまま毎日が続いていけばいいと思った。

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