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2011.06.12 (Sun)

わがままなやつら


わがままなやつら
(2008/2/29)
エイミー・ベンダー

かぼちゃ頭や鍵の指は、
確かに珍しいものだけれど、
それを備えているという以上の特別さを、
彼らは持っていない。

生まれ持ったものの分だけ、
きっかり不幸で幸福な人々のお話。


【More・・・】

もしも自分の頭がアイロンだったなら。
あるいは指十本のうち九本が鍵だったなら。
そんな想像はしたことがない。
それが表すそのもので作った「言葉」や、
いもしない「私たち」を感じたこともない。
けれどどうやらベンダーさんの世界には、
当たり前にそういうものが存在しているらしい。
マザーファッカーは女優に恋をし、
小人はときどき大きな人にさらわれる。
ひどくあけっぴろげなおとぎ話のようで、
それでいて恐ろしく純粋な物語に、
迷子のような気分になった。
見慣れないものに囲まれ、目指す場所も分からなくて、
途方に暮れてしまったように思う。
それでも逃げ出したいとは思えないくらいには、
彼女の世界は美しかった。

十五の短編のうち、
分かったというか読めたと言えそうなのは、
精々が七篇というところで、
正味半分も分からなかったということになる。
「オフ」や「出会い」なんかは、
感触として嫌ではないという程度の読後で、
どんな話と言えばいいのか本当に分からない。
でもその分かった方の七篇に、
あまりに強くビリビリとやられて、
これはつまりおしいのかもしれないなと思った。
もう少し自分の中の何かがズレていたり、
逆に物語の側の何かが別のものに置き換わっていたなら、
十五篇全部を「分かる」ことができたのかもしれない。
短編集というものの性格上、
全部に感じ入るということはなかなかないだろうけれど、
「アイロン頭」や「ジョブの仕事」のような衝撃を、
他の八篇にも感じることができたらなあなどと、
全くもって詮無いことを考えてしまうくらいに、
七篇の印象は鮮烈に残った。

「かぼちゃ頭」が何かの比喩かと思ってビクビクしていたら、
その子供が「アイロン頭」ときたもんで、
ああ本当に両親の頭はかぼちゃなんだなと、
妙に安心してオチを楽しみに読んでいたら、
眠れない夜のくだりでがっつりえぐられました。
アイロン頭の子供の短い一生は、
ただ蒸気と疲労に彩られたものだったけれど、
かぼちゃ頭の両親のその後の日々に、
あまりに早く逝ってしまった子供のことを、
彼らがどれほど理解したいと願っていたのかを、
見せつけられるようだった。
親と子の間にある違いは往々にして埋めがたくて、
それが致命的になることもあるのかもしれない。
だとしてもおそらくアイロン頭は、
両親や二人の姉のことも、
劣性遺伝の元であるご先祖のことも、
長い長い眠れない夜を過ごす間の一瞬でも
恨んだりはしなかったのではないかと思う。
姪っ子のティーポット頭が幸福であることが嬉しかった。

「ジョブの仕事」は悲劇なんだろうけれど、
どういう理由なのか、
男が世界に影響を与えることを阻止しようとする神が、
やたらと必死でつい笑ってしまった。
銃に剣にバットって、どこの戦士だ…。
手を変え品を変え創作しようとする男と、
それを脅してやめさせる神とのいたちごっこは、
最終的に神が勝ったように見えて、
実際は男の勝ちだったのだと思う。
あらゆる芸術的手段を封じられ、
とうとう感覚そのものを奪われても、
男には妻と夢想が残った。
理解し、想ってくれる人間がいるだけで、
男は間接的に世界に影響を与えられる。
そればかりは神にも止められなかったのなら、
「質問するな」などと傲慢を振りまく神も、
どれほどのものかという気がして小気味良かった。

九つの鍵を持って生まれて、
そのどれも特別な鍵ではなかった少年のお話は、
無力感と普通であることの安心感の混ざり具合が、
ため息をつきたくなるほど見事だった。

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テーマ : 読書感想 - ジャンル : 本・雑誌


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