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2011.07.09 (Sat)

無宿人別帳


無宿人別帳
(1996/8)
松本清張

職はない、宿もない。
帰る国はとうに捨てた。
あるいは捨てられた。

生きる分だけ襲ってくる理不尽。
抗う男たちにあるのは、
尽きない怒りだけ。

【More・・・】

戸籍にどんな記載がされていようが、
人と人の繋がりは生ものだし、
家族や親子になるのに必要なのは、
書類上の言葉ではない、なんて
現代だから言えることなのだと、
江戸の無宿人の姿を見ていてしみじみ思った。
人別書き、いわば身分を証明する戸籍を失っただけで、
職も住むところもままならなくなって、
無実の罪を着せられたり、
捕まって使い捨ての労働力にされたり、
とにかくありとあらゆる理不尽に襲われる。
耐えて耐えて神妙にしていても、
結局のところ人間扱いが望めないのでは、
盗みや火つけに走るのも道理で、
それがまた立場を悪くする悪循環になるのだから、
全くやっていられない。
そしてこうして書きながら、
この暗い循環は自分が目を向けもしないどこかで、
おそらく今も存在しているのだと思って、ぞっとした。
思い至っただけで、何の実感もわなかない自分に。

小汚い身なりでふらふらと諸国を流れていても、
立身出世の道を探せる余地があるだけ、
二本差しの浪人は恵まれていたようです。
十篇のうちどれに登場する無宿人も、
出世どころか日々を生きるのに精一杯で、
その日々でさえ役人の気まぐれで、
簡単に地獄に変わる危険が常について回る。
無宿人になってしまった事情は、
それぞれに異なるのだろうし、
非が本人にある場合もあるのかもしれないけれど、
自助努力だとか自己責任だとか、
そういう言葉を押し付けるのを躊躇うほどに、
彼らの置かれた境遇は厳しく、
世間の目は冷たすぎるように思えた。
金山の底や流された島、あるいは牢内で、
誰に惜しまれることもないまま、
死んでいく姿に暗澹とした気分になった。

もしも自分が遠島に流されたなら、
恩赦までの数年の内に土に還っていると思う。
佐渡の地底なんて言わずもがな。
けれどこの別帳に収められた男たちは、
ひどい環境の中でも生き延びようとする。
傍からみれば足掻いて生き延びたところで、
マシな生活が待っているとも思えないし、
島抜けや牢抜けに挑んだ結果、
獄門台に首を並べた同士を多く見てもいるのに、
どうしてそこまでできるのか、と考えて、
つまり彼らは怒っているのだと思った。
直接的には自分たちを苦しめる奴らに、
大きくは無宿人を生まずには成り立たない仕組みに。
多分彼らは不正を許せないから、ではなく、
屈辱や苦痛に対する当然の反発として怒っている。
怒りが理屈ではなく体から発している。
だからこそ、足掻けるのかもしれない。
まあ、単純に体が丈夫なのもあるんだろうとも思う。

十篇のほとんどは、
無宿人たちの哀れな境遇と末路の話だけれど、
「夜の足音」の龍助や「左の腕」の卯助なんかは、
往々にして失敗に終わる抵抗を成功させて、
無宿人を人間扱いしない人々に、
ひと泡吹かせられた珍しい例で、
その意味ではとても痛快だった。
ただ、結局のところ彼らの抵抗は、
殺人のような重罪を犯したり、
長い辛抱を重ねて手に入れた安定を手放したり、
というような代償なしには成らなかったわけで、
つまるところそれが彼らの抵抗の限界であり、
立場の弱さなのだと思う。
「俺は知らない」の銀介にしても、
理不尽に抗おうと知恵を回した結果、
不義理をすることになって命を失ったのだから、
彼らが抵抗することの代償は半端ではない。
龍助や卯助、おあきのその後が心配です。

女の無宿人というのは出てこなかったけれど、
多分男が泥と汗にまみれて死ぬように、
女も苦界の果てでそうなっていたのだろうと思う。

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