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2011.10.12 (Wed)

25時のバカンス 市川春子作品集Ⅱ


25時のバカンス 市川春子作品集Ⅱ
(2011/9/23)
市川春子

人でなくなっても姉と弟。
理解し合えなくても兄と妹。
血は通じあえなくても兄と弟。

彼らが信じているものは、
どこまでも硬質で、貴い。


【More・・・】

幸運にしてと言うべきか、
あるいは残念ながらと言うべきか、
現在のところ人を獲物にする捕食者はいない。
個体同士の厳然たる力関係によって、
食べられてしまうことはあるけれど、
それはほとんどお互いにとって事故みたいなもので、
種全体にとっての脅威とは言えない。
だからもし突然にそういう上位の存在に出会っても、
彼らがそうだとは分からないんじゃないかと思う。
平和ボケした頭で無防備に近づいていって、
幾人もがぺろりとやられてしまうに違いない。
海底、土星の衛星、月の地下世界。
人にとって未知の領域に触れて、
多分、天才たちはぺろりとやられてしまった。
ただし、彼らはどう猛な捕食者ではなく、
弱い者に痛みを与えない優しい者たちだったのだと思う。
愛おしむべき対象として見られるその距離が、
新鮮で屈辱的で、ため息ものの甘さだった。

内側から貝に食べられて、
乙女さんの体はもう人間とは言えないものになっている。
胸を張って「おめでとう」を言うためだけに、
彼女が海底の住人に差し出したものを考えると、
弟くんの言う通り、副産物のバランスがおかしい。
一応変なのは自覚はしているようだけれど、
あの貝たちに出会って、可能性を発見したとき、
あるいはずっと以前、弟の目に赤いフィルターがおりた瞬間から
その選択に至ることは乙女さんにとってごく自然なことだったんだと思う。
弟の目を人に近づけることと自分の体を天秤にかければ、
多分何度やったって、自分など羽より軽い。
何しろ「粉々に・・・」なのだから。なんていう甘さ。
けれどそうやっていとも簡単に人から離れていく姉を、
弟くんは自分の傍にでも姉としての位置にでもなく、
純粋に人の傍に引き留めようとしているように見えた。
普段は自分の方が珍しい生き物を求めてふらついているくせに、
この人はそんなでも人の傍で生きていて、
浮き世どころか此岸からさえ離れてしまいそうな姉のことが、
貝云々を別にしても心配だったんじゃないかと思う。
体の端から端まですでに人でなくなっている姉に向かって、
もう少し人間でいてくれなんて、愛でしかない。

乙女さんの中で育った貝たちの思考回路は、
おそらく故郷のものよりは人に近いんだろうけれど、
それでも人の理屈でものを考えているわけではない。
まして異星の海の底生まれの菌であるクアドラと、
人であるナナが同じものを見て同じことを感じるなんて、
それは土台無理な話だったのかもしれない。
「パンドラにて」ラスト数ページの絶望は、
なにもナナの兄貴のせいばかりではなく、
わかり合っていると信じて互いを大切に思う者同士が、
その実何一つ重なり合っていなかったことにあって、
「生きてる」の言葉がこんなに悲しかったことはない。
ナナとクアドラの視線が最後まで交差しなかった一方で、
兄妹は理解し合っていたのだと思う。
ナナは兄の不安や思考の基盤を分かっていたし、
兄貴の方でも、ナナの思いや聡明さをしっかり捉えていた。
血のつながりがあって、理解し合って、
それでも互いの存在に価値を見いだせなかった兄妹と、
背中合わせで思い合っていたナナとクアドラ。
おのおのに幸福がある分だけ後者がマシなのか、分からない。

人より大きく突出した一部分をもつ天才たち。
その能力の分だけできることが多いはずの彼らだけれど、
乙女さんもナナも、そして「月の葬式」のよみちも、
天才であることなど何の意味も成さないものを前にして、
自分の価値を見失ってしまった。
その点で彼らはとても近しい。
ただ、乙女さんやナナが自分でない存在に、
いわば自分の外側に価値を再構築したのに対して、
よみちは冬のほんの数日で砕けた自身を一から組み立て、
はるか上、「兄」の待つ場所まで持ち上げるために、
二年間を使ったのだと思う。
間さんはすぐにリモコンを使ってしまって良かったはずで、
むしろそうすることが使命だったんだろうし、
よみちのためにそれを実行した以上、
もはや生きる意味もなくなったとも言えるわけで、
その二年間「兄」が死なずにいてくれるかどうかは賭だった。
でも千羽鶴の効力を聞いてハッとしたあの姿を、
聡明な少年は忘れなかったんだろうなと思う。
故郷も同類も残らずなくしてしまっても、間さんは生きたかった。
許されるなら、と言うよみちと一緒に、
失ったものを悼みながら、できることをしていけばいい。

乙女さんから伸びるにょろにょろしたもの。
多分というか確実に既存の穴から出てますよね。
確かにいかがわしいよな、弟くん。

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テーマ : 漫画 - ジャンル : アニメ・コミック


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