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2012.01.12 (Thu)

ぼっちーズ


ぼっちーズ
(2010/11)
入間人間

ここがあなたの居場所です。
前と左隣と左右斜め後ろは友達で、
右隣が恋人です。
それ以外はあなたの敵です。

なんて、誰も言っちゃくれない。
四方八方の他人が自分の何なのかは、
己で決めるしかない。


【More・・・】

男女の間で友情は成立し得るのか、という命題があるらしい。
誰が最初にこの命題にぶち当たったにしろ、
し得るのか、を疑問に思ってしまった時点で、
男女の間に限らず、友情にも限らず、
人と人の関係性は成り立たなくなってしまうと思う。
きみは友達、きみは恋人、きみはライバル、
なんていう風にラベルを貼って回るわけにはいかないのだから、
「関係」なんてものはそこにあると信じるしかない。
その上ただでさえ解のない問いをさらに難しくしてしまうのは、
たとえ自分が誰かにラベルを貼ったとしても、
相手も同じラベルを自分に貼ってくれるとは限らないし、
ラベルの粘着力だって違うだろうことで、
その意味において、友情も愛情も、
どこまで行っても一人相撲でしかないのかもしれない。
ただ、だから友情も愛情も幻想ということではない、とも思う。
一人相撲であることを呑み込んだ上で、
友だと信じれば、それは友以外の何者でもない。
友達いない歴を着々と更新し続ける「ぼっち」たちは、
他人との関係というものについて勘違いしたまま、
自ら「友達」を高みに追いやっているように見えて、
そんなだから、とひどいことを言いたくなった。

大学生になってまで友達がいない、
ということをぼっちたちは自虐的に語っているけれど、
まで、というより、だからこそ、なのではないかと思う。
いくら一人であることを望んでも、
一程度は集団行動を強制される時代とは違って、
大学では一人で過ごそうと思えば、
本当に大抵のことは一人でなんとかなってしまうし、
望むと望まぬとに関わらず、
そうやって一人でいる人間のことなど、
実際のところ集団は気にもとめていない。
そこには、いい加減人格は出来上がっている(はず)なのだから、
そうあることは本人の主義あるいは問題で、
そっとしておくのがマナー、的な意識が働いている気もする。
だからこそ強制的に集団に参加させられていたときよりも、
大学生のぼっちが集団に入るハードルが上がる、とも言えるけれど、
本当に一人であることが苦しいなら、
集団を成す人間への劣等感と憎悪を育てる前に、
すべきこと、できることがたくさんあるだろうと思う。
それができないからぼっちなんだ、なんて言ったところで、
誰も手を引いてはくれない。

友達がいない人間たちがなんとなく繋がっていって、
友達とは似て非なる「ぼっちたち」になりました、という話だったら、
ああそうですか良かったね、で終わってしまったと思うし、
実際冒頭からの四編は、
中村さんや森川のキャラクターの魅力を除くと、
そういう感想しか出なかったわけだけれど、
最後の「清き湖底に住み着く者たち」のおかげで、
この人たちはみんな本当に自分のダメさに自覚的なんだなと思えて、
それなら「ぼっちたち」という形も悪くない気がした。
秘密基地という安息の場所により一層ダメにされていることに気づいて、
隊員たちはそこから出て行こうと足掻いて、
その結果として隊長の代替わりが行われる。
でも秘密基地を卒業したところで、
大学という場所から、つまりはぼっち仲間から離れられない彼らは
結局のところ少し広い水槽に移っただけ。
吉田さんに恋をし、即興で歌えてしまう「ぼく」のようには、
決してなれていない、変わっていないのが彼ら。
それでも生きられないわけじゃないことを知り、
ダメなまま生きること自体には、
劣等感を抱く必要はないんだと諦めてしまえた分だけ、
秘密基地に潜んでいた頃よりは息をしやすくなったんでしょう。
それだけでもただ腐り落ちるよりは何倍もマシだと思う。

友達とは、友情とは、と悩み、
あ、今の友達っぽくね?などと言い合うぼっちたちが、
では恋とは、愛とは、という命題については、
そろいもそろって悩まないのが不思議だった。
友達がいたためしさえない森川が中村さんに愛を叫び、
羽生田が愛みたいなものを掴もうとしているのだから、
恋人なんて友達以上に遠くて想像できない、というわけではない。
友情を定義できない彼らにとって、
恋情は考える必要もなく明らかなものであるらしい。
なぜそんなことになるのか考えてみると、
逆説的ではあるけけれど、友情の枠組みが存在しないからこそ、
彼らは恋に確信的なのかもしれないと思った。
自分の気持ちが友情か愛情かを見分ける必要がないから、
恋愛対象になり得る相手への好意は全て愛になる。
そんな風に彼らぼっちたちを見渡すと、
男女間で恋愛以外の繋がりが薄いのに納得がいった。
中村さんと森川の例は前提が前提だから例外にならない。
詳しくは語られていないから微妙な話だけれど、
むしろ本当の例外は羽生田。
逆説が反転し過ぎて、なんてややこしい男だ。

ぼっちたちが羨望と憎悪を持って見つめる、
集団型の、いわゆる社交的な人間だって、
目の前の人間が本当に友達か、
と考えない日がないわけじゃないと思う。
逆恨みも甚だしいぞ、ぼっちーズ。

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Comment

●記事が生まれて結構経っていますが

多分この場合「うるせえ死ね」とコメントするのが対岸に位置するあなたを見たときのわたしの正しい作法なのだろうと思うので一言。


うるせえ死ね!!!!
Jane Na Doe |  2015年05月13日(水) 06:42 |  URL |  【コメント編集】

●Re: 記事が生まれて結構経っていますが

コメントありがとうございます。
私とJane Na Doeさんが対岸に位置するのかは定かではありませんが、熱い思いを感じました。
あこん |  2015年05月16日(土) 12:42 |  URL |  【コメント編集】

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