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2009.06.30 (Tue)

くもの巣の小道


くもの巣の小道
(1990/10)
イタロ カルヴィーノイタロ・カルヴィーノ

酒場に出入りして
犯罪の歌を歌って
パルチザン部隊と行動を共にして。

でも少年は、
大人の仲間ではない。
子供の「仲間」でさえない。

誰の仲間にも、なれない。

【More・・・】

どんなに汚い言葉を使って見せても、
いくら大人たちをからかうのが得意でも、
ピンは子供なのだと思う。
秘密の場所に埋めたピストルだけを支えにして、
そこは魔法の場所なのだと言うような、子供。
でも、一番読んでいて苦しかったのは、
戦争をしている部隊の中に彼がいることでも、
戦争自体でもなかった。
ピンが自分は子供だと了解していることが
たまらないと思った。

自分が誰の仲間でもないと承知しながら、
集団のなかで笑ったり歌ったりしながら生活するのは、
きっとタフでないと出来ない。
生まれながらにそういう場所にいたとはいえ、
それが出来るピンはたくましい。
それでも、ピンは
クジーノの「パンのような大きな手」を求める。
一人になったとき、牝犬と自ら罵る姉の家に行く。
母親じみた振る舞いをする女を憎みながら、
誰かが頭を撫でてくれればいいのに、とふいに思う。
それが子供じみた思いだと承知して
だから自分は子供なのだと噛みしめるピンは
何かしらに囚われて、囚われていることにも気がつかない大人たちより
よほど自分を知っている。
そのことの、子供らしくなさが、悲しい。

パルチザンについては恥ずかしながらよく知らない。
訳者のあとがきを読んで、
やっと物語の背景がぼんやり見えたくらいのもので、
マンチーノの演説も、≪憲兵≫の主張も
半分も分かりはしなかったのですが、
それでも何かしらの、熱狂のようなものは感じられました。
理由というほどはっきりしなくても、
そこに留まらざるを得ない何かが
多分彼らの中にはそれぞれあったんでしょう、きっと。

ピンの視点から少しの間離れて、
政治委員・キムの思考が語られる部分がありますが、
キム青年の考える歴史観みたいなものには
分からない部分がありつつも、なんだか納得。
要は政治委員である自分を肯定するための方便、のような気もしますが、
「あっちにむけて射とうがこっちにむけようが、同じことなんだ。」
というのは、パルチザンと黒シャツ旅団の話でなくても
大いにあちこちに当てはまることだと思いました。


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