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2012.05.22 (Tue)

世界屠畜紀行


世界屠畜紀行
(2007/1)
内澤旬子

食べることは殺すこと。
それは血を出させることで、
脂を光らせることで、
内蔵や筋をバラすこと。

それは、畜舎と食卓の間で起こる。
今も昔もどこででも、
確かに刃物が振るわれている。


【More・・・】

答えの出ない問いはざらにある。
解が無数にあるという意味だけではなく、
もっと個人的なレベル、ある一人の心の中でさえ、
これと言える回答を用意できない問いはあって、
それがどんな問いかはそれぞれ違うだろうけれど、
あらゆる問いに迷いなく答えられる人間はいないと思う。
私にとってその一つが動物と人の関わり方の問題で、
ハンバーグと愛猫の間に歴然と存在する差と、
決して存在しない差に気づいた日から、
特定の獣を愛でながら食卓の肉を喜ぶことは、
矛盾として設定されたままになっている。
けれど幸か不幸か、美味しいと思う度に絶望したり、
愛しいと思う度に歯がみしたりせずとも、
平穏な心で生活していくことはできる。
未解決の問題を解決済みのような顔をして、
あるいは本当に解決済みだと信じて大人の顔をして、
今その問題に肉薄している子どもに微笑むことさえできる。
問い続けながら旅する内澤さんの視線に、
そんな薄っぺらい諦観を引っぺがされた。

内澤さんが求めている問いの答えは、
宗教や文化や経済なんかともちろん無縁ではないけれど、
もっと単純な構造の上に載っているような気もした。
肉と命を切り離し、ただ死を忌避し、それに関わる者を糾弾する。
そういう構造を心の中に作るのはおそらくそう難しくない。
死が忌むべきものであることは、
人かどうかに関わらず議論の余地のない真実に見えるから、
「残酷でない屠畜」なんて不可思議を叫ぶには、
その強固さ一つだけで充分なのかもしれないと思う。
できる限りごまかさずに考えれば、
一度は可愛いと思った家畜を殺して食べるとしても、
それは自然なことだと感じる内澤さんよりも、
可愛いと思ったものを食べるなんて可哀想だと思う誰かの方が、
私にとっては理解しやすいし、馴染みやすい。
ただ、だからと言って菜食主義にはなれない。肉は美味しい。
それが矛盾だと知っている罪悪感の分だけ、
自分の中にある、殺して食べることに対する嫌悪感を、
すんなりと認めることができないだけなんだと思う。
真っ向から死や血肉の臭いを拒否する人々の方が、
いっそ潔いようにも思えて、全く気が滅入る。

終章近くで述べられているように、
世界と言いながら巡っているのはほんの数国で、
結構な枚数を日本での屠畜で割いているから、
この一冊だけで世界でどんな風に動物が肉になっているか、
その全てを知ったことにはならないと思うけれど、
それこそ世界中で四六時中行われている肉食や、
その背景に必ず存在する屠畜という仕事が、
単純に死を中心に捉えられているわけでないことは分かった。
肉食を、育てる、殺す、食べる、という段階に分けて考えると、
各段階がとてもフラットに接続している地域もあれば、
全てを完全に分離したり、ある段階に特別な意味を与える国もある。
しかも往々にして動物によって扱いに差があって、
家畜、穢れ、愛玩物、神聖物、と面白いくらいブレる。
どの獣をどう捉えるか、の多くは宗教に根ざしていて、
日本における屠畜への特殊な忌避感にも、
仏教の殺生戒、つまり宗教タブーが効いているのかもしれない。
でもバリ島でのブタを「殺す」ことの話を聞いていると、
一つの宗教観の中でも命を奪うことの是非は揺れている気がした。
戒めておきながら、破戒を犯した者をも救ったり、
身分によって忌まわしい行為を遠ざけたり、苦し紛れに言葉を換えたり。
聖人たちが同じ位置で悩んでいるようで少し嬉しい。

などなどの諸々の感傷やら何やらを排して眺めるに、
屠畜の現場は基本的にどこも驚くほどシステマチックだった。
魚の三枚おろしを基準に考えると、
適当に刃物をぶっ刺しても「お肉」は出来ないわけで、
早く、無駄なく、清潔に、美味い部位を切り分けるため、
人が初めての獲物を得た日から延々と試行錯誤が繰り返されて、
その結果が現在の大規模屠場の姿なんだろうなと思うと、
到達地点の見事さに感心せずにはいられない。
それは用意がナイフ一本の屠畜であっても変わらず、
技という意味で言えば家の裏で行われる屠畜の方が、
職人好きにはたまらないものがある。
単純にバラす技術としてもさることながら、
血の一滴まで無駄にしないために編み出されたやり方を見ていて、
家畜は資源なのだと改めて思う。
宗教や文化とか、命がどうのという個人的な思いとか、
そういうものを取っ払ってしまえば、
コストをかけて育てた、あるいは買ったものを、
余すところなく使い切ろうとするのは当たり前のことで、
それに一番適した方法を咎められる云われはない。
なんて言ったら倫理の前に効率を置くのかと反論されるんでしょう。
それでも屠る職人たちの技には見惚れる。

認めるから、あることになるのか。
それとも認めないから、なくならないのか。
差別はあるのか、という問いは、
どんな種類のそれであれ答え難い。

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2012/05/23(水) 01:00:19 | まとめwoネタ速neo

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