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2012.09.15 (Sat)

わたしの名は紅


わたしの名は紅
(2004/11)
オルハン・パムク

数多の文化が混合した結果の生成物として、
いかなる文化も成立する。
独創性なんて、幻想に過ぎない。

絵師たちの苦悩は、
数百年前も数百年後も、
何一つ変わらず描く者とともにあるのだろう。

【More・・・】

見えているものを見えているように、
細部まで記述すること、描くことが、
何かを冒涜することになるなんて考えたこともない。
そもそも、「冒涜」という感覚自体が、
精々地蔵を蹴り倒すとか聖書に唾を吐くとか、
かなり直接的な行為に対してしか起こらない感情で、
絵師たちや暴徒と化しつつある説教師たちの抱く、
反射神経に近い怒りや畏れみたいなものは、
おそらく理解できていないんだろうと思う。
その点で、絵師たちを苦悩させているもの、
彼らを殺人や疑心、蔑み合いに追い込むものの、
本当のところは最後まで分からなかった。
ただ新しく強い求心力をもつ異国の様式に飲まれ、
「細密画」というものが変わりつつある中で、
個人の望み、工房の形、国の在り方、そして芸術という、
異なるスケールの相反する求めの狭間に、
彼らが立たされていたのだということは分かる。
「殺人」、「盲」、「金」、「結婚」はいずれも、
そこで各々が出した答えなのだろうと思う。
一番大局を見ているのは「人殺し」な気がした。

細密画師たち、その師、美しい寡婦、行商女など、
実際に異なる視点からある場面を目撃する人間の他に、
「犬」「木」「金貨」「死」などの言葉もたぬ者たちが、
その狭間を埋めるように語ることで物語は繋ぎ合わされる。
終わってみればわずか九日間の出来事なのに、
数百年を遡った戦争の場面や伝説の中の恋なんかが、
細密画を介することで時空を超えて並列で語られ、
またその事象が現実の人物の行動に影響したりするために、
とても壮大な話を読んだような気になった。
いや、実際ハード改行少な目600ページ越えの大作で、
時代と文化圏の違いから理解できない部分も多く、
その上著者の意向から注釈なしときており、
正直なところ3/4くらいまではかなり苦労して読んだ。
特に名人オスマンが語り出すと、
その芸術観、膨大な画と伝承の知識に打ちのめされ、
その後でエステルやシェキュレが語ると、
感情的なくせに計算高い女たちの視点、
その俗っぽさに安心したりもした。
それでも何とか物語についていった結果、
54章あたりで全てが繋がり始めて、やられた、と思った。
なんという周到さ、緻密さ。参りました。

容疑者「オリーブ」「蝶」「コウノトリ」の間に、
序盤明確な違いを感じられないことと、
殺人の動機がいまいちはっきりしないために、
カラの探偵業の方にはあまり惹かれなかった。
オスマンは完全に自分の世界に行ってしまったし。
終盤で「人殺し」と一人の細密画師が一致したとき、
四人の同胞の相似な部分と、異なる部分が見えてやっと、
それぞれが語ったことが理解できた気がするものの、
カラとシェキュレの行く末やエニシテの本の話の方が、
ハラハラやきもきしながら追いかけた。
カラと駆け引きをしているかと思えば、
ハッサンに愛を感じたり、帰らない夫との幸福な生活を思ったり、
シェキュレの心はふらふらと揺れていて、
その自尊心の高さ、自己憐憫、利己的な考え方と併せると、
全くまって苛々させられたのだけれど、
混乱する彼女に対してエステルが思っているように、
結局彼女の望みが良き夫ではなく、
子供たちにとっての良き父親であったなら、
その身勝手さも許されるような気がしてしまう。
母親、という肩書は卑怯だと思う。

トルコは現在でも西洋と東洋の結節点のように言われるけれど、
遠近法に代表されるヨーロッパの手法に、
駆逐されつつある細密画の手法がそもそも、
より東方から移入し定着したものを基盤としている点に、
細密画師たちのジレンマがあるのだろうなと思う。
模倣よりも厳密な、複写に近いものに価値が置かれる価値観の中では、
その元の一枚もまた外来であることは自明のこととはいえ、
新しい手法に抗う気勢をそぐ事柄には違いない。
けれども更なるそもそもを考えれば、
新たに生まれたものと融合しながら育つのが文化だし、
異国のそれを土壌の深部までに飲み込む柔軟さは、
民族や文化の生き残りを考えれば確かな長所で、
「沼」と表されたりするこの国の事情をかの国に重ね合わせれば、
それには実感をもった誇らしさを感じさせる。
一方、そんなものはどこにも存在しないことを承知した上で、
完全オリジナルな文化というものに対する希求も、
絵師たちが苦悩する様を見ながら切実に感じた。
彼らの価値観では個人のオリジナルであること、
つまりスタイルをもっていることはむしろ欠点なのに、
複写という手法を通して彼らが追い求めているものは、
それが全体として一つの文化になることに見える。
シェキュレの語る後日談が切なくて仕方ない。

女を厳重に家の奥に隠す一方で、
異邦人であるエステルとは普通に話し、
手淫を蔑んだり貞淑を重んじながら、
麗しい少年に堂々愛を囁く男たち。
強固さと緩さが共存する国がなんだか微笑ましい。

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