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2012.10.10 (Wed)

異邦の騎士


異邦の騎士
(1998/3/13)
島田荘司

まとわりついて離れず、
動きを鈍く、思考を固くし、
逃げても執拗に追いかけてくる。
過去はそういう化け物だ。

けれどそれなくしては、
足元を信じることすらできない。
嘘で固めた地面は、恐ろしい。


【More・・・】

進学や就職、結婚なんかの機会に際して、
住む町を変えるようなとき、
まだどこにも馴染みの場所がない頃の不安と、
同時に感じる妙な清々しさは、
ちょっと癖になるものがあると思う。
誰のことも知らず、誰も自分を知らない。
それはどちらも不安の原因たるけれど、
清々しさも多分同じ場所から生まれる。
何の人間的繋がりも縛りもないから、
どんな振る舞いも出来るような気がするし、
初めて出会った人にとっては、
それこそが「私」という人間になるのだと思うと、
大げさに言って生まれ直したような気にさえなる。
一カ所に定着できない種の人間を別天地に誘うのは、
この無敵感なのかもしれない、と思ったりもする。
でもそんなものは幻想、というより、
置き去りにできるものがあるからこその甘えなのだと、
過去も自分もなくした男の不安を見ていて思った。
確かなものが自分の後ろ数ヶ月分しかないのなら、
それを守るための愚かな決意もできてしまうのか。

行方不明になって、捜索願が受理されて、
それでも見つからない人間が年間2千人くらいいるらしい。
失踪の原因はさまざまだろうし、
死亡している場合も考えられるから、
それだけの数の過去を切り捨てた某が、
別の町で別の人生を生きているわけではないけれど、
それでもいくらかはそうやって過去を捨てた人間がいるのだと思う。
それは一体どういう感じなのかと想像する。
過去を捨てると言っても、
この話の男の場合のように記憶喪失にでもならない限り、
自分の過去を完全に切り離すのは不可能で、
過去の影響を最小限にするためには、確実に多量の嘘が必要になる。
名前から始まり、生活に必要な情報を偽証し、
新しい人間関係を望むなら、
不審を抱かれない程度の過去をねつ造しなければいけない。
思いがけず過去を失った「俺」には、
そのストレスはあまりなかったようだけれど、
新生活が過去に比べてどれだけマシでも、
嘘を起点にしたそれ、特に人間関係を続けるのは、
それが大切になればなるほどおそらく辛い。
良子があれほど荒れるたのは多分そういうことでもある。

ノートによって「俺」の前に開陳された過去は、
憎悪をかきたてる千賀子の悲劇的な末路と、
唾棄すべき人間としての井原の存在という点で、
目的を達成するには完璧なシナリオだったし、
記憶障害の男を使うという大胆さや、
多少のイレギュラーにも対応できる柔軟性も考えると、
なんとも天晴れな出来ではあったと思うけれど、
いかんせん、完璧がすぎて何某かの目的があるのが透ける。
そのせいで今を守るために過去の清算を求める男の情熱が、
ぶら下げられたエサに飛びつく愚か者にしか見えず、
妻子と自分の悲劇性に酔っているようにさえ思えて、
そうなるとこの男が守ろうとしているものも、
記憶喪失や不幸で陰のある女という、
ドラマ性に根があるような気がしてきて、
せっせと憎悪を燃やして殺人に向かう男を見ていて、
誰かさっさとカラクリを暴いてやれよ、という気分になった。
全てが終わってからの悔恨はまさにその通りで、
この男はどうにも鈍くて優柔不断で、イライラさせられた。
秀司にとってもそれは誤算だったかもしれない。

良子と石岡の間に芽生えたらしいもの以外、
元住吉での生活は基本的に嘘の上に成立しているけれど、
石岡過去を失ってから得た人間関係の中で、
御手洗との関係だけにはほとんど嘘がない。
そもそも過去がないことを前提に始まっている以上、
過去から石岡の何かを判断することなどできないのだから、
御手洗が常態から外れて奔走して石岡を止めるのは、
あの数ヶ月に二人の間に培われたものが、
真実友情と呼べるものだったからなのだと思う。
本当の名も、過去も必要とせず、
現実に流れたわずかな時間だけを拠り所にして、
夜を疾走し散弾銃の前に身を置くだけの情は育ち得る。
それは大前提となる嘘をつかずには、
他人に自分を示すことができない人間にとっては、
胸がしめつけられるような希望だ。
もちろん誰の間でもそれが可能なわけではないし、
嘘が明らかになって壊れてしまうものだって多くある。
でも、迷惑で偏屈で、まともなコーヒーもいれらない、
オートバイに乗った騎士は輝いて見えた。

結局どういう過去をもった男なのか分からないけれど、
人名の「御手洗」くらいは読めとけよ、と思った。


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