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2013.01.06 (Sun)

玻璃の天


玻璃の天
(2009/9/4)
北村薫

過去に戻ることはできない。
人の心を変えることもできない。
それを望む者でさえも、
本当はちゃんと分かっている。

それでも、それでも、それでも。
願わずにはいられない時がある。
思わずにはいられない人がいる。


【More・・・】

復讐は何も生まないと優しいヒーローたちは宣う。
それはもちろんその通りで、
敵や仇にどんな仕打ちを与えても、
誰も帰ってこないし、痛みも減らない。
ただ憎しみの連鎖に新しい輪を加えるだけ。
そんな重みの憎しみは経験としては分からないけれど、
でも多分復讐者が望んでいるものは、
何かの始まりではなく、終わりなのだと想像する。
何も生まない憎しみを終わらせるために、
対象を攻撃し、場合によっては消そうとする。
ならば、ベッキーさんの理想は、
二人の男の選択、人殺しになる道よりも、
はるかに苦しく恐ろしい、修羅の道なのだと思う。
復讐を最初から選択肢に入れないということは、
おそらく許すことでも忘れることでもない。
自分の気持ちを終わらせず、過去を風化させず、
生のままのそれを抱えて生きるなんて、
一体どれほどの自制心が要るのだろう。
ベッキーさんの胸の内を思うと熊狩りをしたくなる。

お嬢様としての英子嬢の生活は相変わらずで、
学友の方々の婚約話が現実味を帯びてきたりするものの、
学校、社交、小さな謎の基本は「街の灯」から変わっていない。
少し学年が進んで将来が具体的に見えてきた分だけ、
英子嬢の考え方も実際的な感じになっている気はする。
女の子の間の「秘密」のようなものでも、
ほとんど躊躇なくベッキーさんに相談してき英子嬢が、
若月将校との出会いや問答については沈黙したことが、
彼女が少女からその次の段階に進みつつある徴のようで、
ちょっとしたことながら嬉しいような寂しいような。
まああの会での彼女の一番の関心事は、
身近なロミオとジュリエット、その騒動の真相なので、
謎とにわか探偵業に吸い寄せられているだけなら、
むしろ子どもらしいと言えるのかもしれないけれど。
現代のロミオとジュリエットの恋物語は、
一族内の古くてわりとくだらない確執に至り、
着地点は別のロミオとジュリエットで、やられた。
思い合っているのに結ばれない、ということ自体より、
もう決してかからない橋の向こうで待ち続ける、
彼のその年月に圧倒される。

「想夫恋」もロミオとジュリエットの話だけれど、
本家のような危険な賭けはせずに、
二人は直接的な手段に出たわけで、
その選択は世間の目や家の問題云々だけでなく、
恋愛と結婚を別物と考えるお嬢さんたちの常識にもそぐわない。
お嬢らしくない考え方をもっている英子嬢でも、
多分綾乃の選択が最良だとは考えていないと思う。
家や家族に迷惑をかけるから、ということではなく、
自分がおかれた立場と将来を考えたとき、
綾乃の選択は本家よりも危険な結果を招きかねないもので、
決定的に結ばれない間柄というわけでもないのだから、
もう少し賢く立ち回る方法もあっただろうと思う。
でも、いてもたってもいられず、
性急に相手を求めずにはいられない感じや、
一方で自分の墓標を残していくような感傷は、
お嬢ではなく、少女らしくて好ましく感じた。
綾乃の選択を最前ではないとは思っても、
海外の女学生の自由さに憧れるのは英子も同じで、
賢明さ、少女らしさ、優しさを併せ持つ英子嬢に益々惚れた。

二本恋の話を重ねたあとの、「玻璃の天」。
帝国が歩み始めている道のきな臭さを象徴する男は、
「幻の橋」「想夫恋」の両方でチラついていたけれど、
どちらも、というかここまでの話全部が、
この話の布石だったのか、と感嘆した。
完璧超人と言って差し支えないベッキーさんが、
言いよどんだり、選択に際して苦悩したりする姿は、
普段の態度の分だけ胸が苦しくなる。
ベッキーさんが今の人生も、
二人の男が苦悩の末に人殺しに至ったのも、
段熊という男が大元にいるのは間違いない。
でもこの男が直接的に何かしたというわけではなく、
こういう男と時代が合ってしまったが故に起こったことだと、
三人がそれぞれに理解しているからこそ、
その苦しみはより深いものになっているのだと思う。
恨みの声、否の声をかき消しながら、
国が暴走を始めようとしている時代。
せめて将校がしたような気遣いが正しく届き続けてほしい。

いよいよ戦争が間近になってきて、
ハラハラせずにはいられない。
荒波が彼女たちを飲み込んでしまわぬよう祈りつつ、
シリーズを進めます。


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