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2013.01.22 (Tue)

箱の中


箱の中
(2012/9/14)
木原音瀬

物と物でも間に貨幣を挟んでも、
等しい価値、重みのもの同士でないような、
一方的なやり取りは最初から成立しない。

ただし人の心はその限りではない。
どんな場所からでも、
始めて、続いて、積み重ねて、
やがてたどり着ける場所がある。


【More・・・】

*この感想文はノベルズ版「檻の外」収録の後日談、
「雨の日」「なつやすみ」の内容をふまえています。
ご注意ください。

他人を大事だと思う気持ちには、
理由や背景があってしかるべきとは思う。
それなしの手放しの思いなんてのは、
思う方にとっても思われる方にとっても危うすぎる。
でも、気持ちの背後にあるものが、
あまりに明らかに説明できてしまう場合も、
それを素直に信じるのは難しいのだと、
喜多川の気持ちを受け止めきれない堂野を見ていて思った。
特殊な環境、ひどく限定的な人間関係、
喜多川の後ろに見え隠れする過去と、己の状況。
そういうものから目を逸らさずに考えるほど、
喜多川が示す好意には明確な説明が張り付いてしまう。
裏表のない真っ直ぐな気持ちが、
同情を催させる要素と、危うい均衡を足場にしているように見える。
だから堂野は喜多川を迎えに行かなかったのだと思う。
あれは異世界の出来事だったと切り捨てたのではなく、
喜多川と自分のことをちゃんと考えたからこそ、行けなかった。
喜多川にとっては辛い6年だっただろうけれど、
あのまますぐに一緒になっていたなら、
「夢みたい」でも、きっと喜多川は一人のままだった。
夏の日差しの下で笑う男が眩しい。

堂野があんまりな過去をもつ男に普通を教えようとしたり、
行き過ぎつつある行為を拒否しないのには、
好意や無自覚で卑怯な打算が理由になってはいても、
恋愛の要素は全く入っていなかっただろうと思う。
喜多川にしても最初は褒めて貰うことの喜びを知って、
子どものようにそれを欲しがっていただけ。
ならばどこから二人が、というより喜多川が変わったのかを考えるに、
何かして欲しいから相手に何かしてあげる、というやり取りを、
最初に断ち切ったのは堂野だったのだと気づいた。
求めるためには何かを差し出す必要があって、
求められるからには何かを支払われる、という喜多川の普通を、
堂野はごく普通に、けれど断固とした態度で、否定した。
それは向けられる好意の後ろに見返り要求を見ずに済むという意味で、
喜多川の殺伐を取り払ったのだろうと思う。
けれど、行為と行為を交換する単純な理屈を取っ払って残ったものが、
変わらず堂野に向かう気持ちだったから、
喜多川は初めて知るもどかしさに戸惑った。
同じ重さのものを返して欲しいと思いながら投げ続ける一方で、
返ってこなくても絶えることなく湧く自分の好意に。
それを愛と名付けることに、打算などあるはずもない。

出所後の二人と彼らを取り巻く人々の心を一つ一つ追っていくと、
「檻の外」の終盤で堂野が考えているように、
他者を大事に思う気持ちは一体何なのかと考えずにはいられず、
すでに出していた回答のようなものをぐらぐらと揺さぶられた。
幼い子どもの命を奪った事件の成り行きを考えると、
麻理子がとてつもなく勝手で無責任に思えるけれど、
多分彼女が堂野を思う気持ちには嘘はないし、
娘を失った悲しみにだって、何の濁りもないのだとも思う。
そんなことになる前は堂野も妻を愛しながら、
喜多川が幸福を見つけることを本当に願っていた。
「なつやすみ」を読めば、田口の気持ちだって本物に見える。
けれどその狭間で子どもが死んだ。
殺した女が法的な罰を与えられるのは当然として、
でもその罪は堂野、麻理子、田口の三人も、
ともに負わねばならないものだろうとも思う。
あの日、という話ではなく、もっと以前から、
彼らは少しずつ卑怯と無責任を重ねてしまっていて、
それがこの結果の原因なのは疑いない。
ただそういう過ちみたいなものの原動力が何かと考えると、
他者を大事に思うことは、と思考が循環して、たまらなくなる。

「檻の外」までは基本的に喜多川以外の視点で進むので、
男が実際に何をどう感じ考えているのか分からず、
堂野が喜多川を受け入れることができるようになって、
彼らが歩み始めた道を心から応援したいと思いながら、
依然として喜多川の気持ちに不安も感じていた。
堂野と過去に由来する温かさへの渇望が、
一緒くたになって凝り固まっている印象がぬぐえなかった。
けれど喜多川視点の「雨の日」を読んで、
最初から、堂野が「何もしなくていい」と言ったときから、
喜多川は本当に真っ直ぐに堂野を見ていたのだと思った。
さらに「なつやすみ」における尚への手放しの慈しみを見て、
穂花への気持ち、彼女を可愛いと思い、悼んだ気持ちは、
堂野でさえ入り込めない所から生じたものだったことに気づいた。
子どもを慈しんだり、人に感謝したりする温かさみたいなものは、
おそらく喜多川の本質的な部分に根っこをもっているんだろうけれど、
それが根を広げられるようにしたのはやはり堂野で、
喜多川の幸福の中心にずっと堂野がいるのは、
それを考えれば当然のことなのかもしれない。
その根は堂野を支え、尚を真っ直ぐに育て、更にその先に繋がっている。
二人の男が築いた幸福が最期を越えて続いていくことが嬉しくてならない。

一緒に死にたかったな、と堂野は言ったけれど、
あの橋の上で、男は一度その選択を確かにした。
彼らの過ごした二十数年に思いを馳せる。

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