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2013.03.05 (Tue)

ISOLA 十三番目の人格


ISOLA 十三番目の人格
(1996/4/18)
貴志祐介

状況に合わせて嘘をつき、
追い詰められれば虚勢を張り、
ときに弱さも武器にする。
多分誰しも一つの顔では生きられない。

十三人に肩代わりさせねば、
生きられなかった少女の十六年は、
一体どれほどにものだったのか。


【More・・・】

英語のmind、soul、heartあたりの言葉は、
日本語では大抵「心」か「精神」に落とし込まれる。
おそらく何語から何語への翻訳であっても、
意味のそぎ落としと分化か両方向で起こるのだろうけれど、
それにしてもその意味の広さにおいて便利な言葉だとは思う。
心の闇、と言うだけであらゆる人の暗部が網羅され、
精神の変調などと言い換えることで、
狂うという言葉の禍々しさとそれを忌避する指向はごまかせる。
現代の常識では精神は心臓の位置ではなく脳の中にある、というより、
体と分かちがたく働く脳そのもの、
体と別個の存在でさえない、ということになっているはずで、
実際の感覚から言ってもそうなんだろうという気がする。
いまだ全貌のつかめない広大な領域ではあっても、
人の体の体積を越えることはない、心は有限の世界だと思う。
でもとても便利なこの言葉はいつまでも効力を持ち続けていて、
まるで人の不可解な部分、割り切れない部分全部を、
無限に押し込められるブラックボックスかのように扱われている。
千尋の心の分裂、それとは別次元で暴れるイソラを見ていて、
SFあるいはホラーの中の話だと思いながら、
もやもやとした違和感につきまとわれて話に集中できなかった。

作中でも少し触れられている通り、
多重人格患者の話としてはダニエル・キイスの著作が有名で、
千尋の中で起こる人格交代や内部人格が沈む闇の描写なんかは、
キイス氏が実際に観察し描写したものとの類似していて、
13人の人格を内包する千尋が抱える問題の深刻さや、
一方での森谷千尋という少女の普通さを現実的に感じた。
大きな外的なストレスから逃れようとする、
つまり自分でない存在に苦痛を向かい合わせる動きとして、
多重人格は発生する、という理解であっているなら、
範子や殊理のような攻撃のための存在も、
ストレス源の排除を目的とすると考えれば納得できる。
13人からなる千尋はとても魅力的な少女だと思う。
瞭子や陶子のような理知的な人格と、
嘘つきで小狡い陽子、無気力な幸生、見栄っ張りな満など、
一つの人格の一部を切断分離して育てたような人格たちの両方が、
千尋を母と認め、統合に協力する様子にも、
少女が苦痛の下から自ら立ち上がろうとしているよう健気さがあって、
素直に応援したくなるような気持ちになった。
だからこそイソラという異物、その正体が、
彼女の伸びてはいけない部分に肥料をやり、
挙げ句土壌そのものを変質させ破壊してしまったように見えて、
対外的な恐ろしさより、千尋に残した影響への憤りをより感じた。
タガの外れた研究者同士のいざこざなど知ったことではない。

他人が自分と同じかそれ以上の密度で思考していることは、
当たり前のことながら、実際にリアルタイムで想像すると、
それだけで底の見えなさで気持ち悪くなる気がするのに、
それを無差別に受信してしまう能力なんてのは、
おそらく何に頼ってでも消してしまいたいだろうなと思う。
由香里がもっている類いの能力は、
超能力や異能を扱った創作物の中にはちらほら見られて、
延々と浴びせられる人の負の感情によって、
大抵は人間や世界を憎んだり、諦めたりする描かれ方が多い。
あるいはその中で救いを与えてくれる対象への信仰に溺れたり。
由香里の少女時代の経験や、現在の職に就く経緯を思えば、
彼女もそういう一人になってもおかしくなかった。
薬を服用していない時の辟易として様子を見ると、
彼女にも人そのものを厭う気持ちがありはするんだと思う。
それでも、由香里は苦しむ人間の助けになりたいと思い、
そのために力を使えることを誇りに思うくらいには、
自分の異能と、あれほど苦しめられた他者の声を肯定できている。
あんな酷い状態で家を出ることになったというのに、
最後の持ち物が自尊心だという強さは天晴れだった。

その時々の必要に迫られて別の人格を生み出すというのは、
つまりトカゲがしっぽに責任押しつけるようなもの。
苦痛や危機に対処する方法としては、
選んではいけない選択の一つだろうと思う。
見解は様々にしろ解離性同一性障害は一つの病で、
特に幼い子供の自己防衛の結果として生じる場合には、
患者を責めるのがお門違いなのは分かっている。
だとしても、統合を目指していた人格たち、
自分たちを千尋という一人の末端だと納得していた彼らが、
イソラという凶器を使ってしまったのは、
イソラの凶悪さ、影響力の強さを鑑みても、
やはり千尋の弱さの表れなのではないかと思う。
役目は色々でも人格たち全員の存在理由は、
千尋を守るというその一点につきるわけで、
イソラを受け入れることは自然な流れとも見ることができるけれど、
統合に合意した時点で内部人格の個は千尋に還元されていた気がする。
ならば彼らがイソラという易きに流れたこと、
同化したイソラが千尋の憎しみを晴らすために人を殺したことには、
少なからず千尋の意思が作用していたのだと思う。
最後まで逃げる以外の選択肢を見つけられなかったのなら、悲しい。

真部の後悔、弥生の嫉妬どちらも分からなくはないし、
あの場でイソラを止めるには他に方法もなかったとは思う。
にしても前夜愛を囁いておきながらお前は何だと殴りたくはなった。

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