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2013.03.07 (Thu)

バニシングポイント


バニシングポイント
(1997/3/14)
佐藤正午

光を発するどこか、誰かと、
その周りのものの影を落とし込んだ画、
一つの走馬燈でこの世界は出来ているのか?

回転軸に背を向けて、
彼らは画を、影を追う。
自らの影もそこに落としながら。


【More・・・】

たとえそう思っていたとしても、
世界の中心は私だと口に出す人間は少ない。
哲学的な問答には意味があるけれど、
自分の死と同時に世界が終わるなんて考え方は、
肥大化した自意識が見せる妄想だとしか思えない。
一個人には世界を動かすことはできないし、
「私」の心と空模様には何の関係もない。
おそらく大多数の人はそれをちゃんと知っている。
他者を自分と同じ重さを持つ存在だと感じることは、
けれどどんなに近づいても難しい。
自分が世界の中心だと嘯く人間がするのと同じように、
他者がまるで自分の世界の一登場人物かのような扱い、
つまり投影とキャラクター化のようなものを経ずには、
関係を結ぶことができないのだと思う。
「そういう人なのよ」という侮蔑と諦念を含んだ言葉は、
あの姉妹に限らず、おそらく誰の中にも定型文としてある。
ごく近距離で展開する別々の物語を俯瞰しながら、
彼らが憎み、愛しているのは、実体ではなく、
関係を築いたその人の投影図なのではないかと思った。
相手に目に映る自分もそうなら、悲しむ必要はないのか。

小説的な事件の中心というものを設定するなら、
彼らの物語はその一周外側の物語なんだろうと思う。
健次郎が言う別の世界の境を行き来しながら、
明らかに街では何かが起きて、終わっている。
それは武上英夫と岸本和恵が出会った頃、
十七年前に当時肩で風を切っていた人間の中で始まって、
高橋あるいは佐久間の人生とともに終わった。
中心から見れば若い健次郎は途中参加の後処理役だし、
和恵は時間を越えて登場する昔の女、歩はうるさい記者、
まゆみや弓子は華や悲哀を添えて退場する幾人かの女。
そんな風な役回りをおそらく過不足なく果たしたのだと思う。
ただ連作短編をなす一篇一篇の焦点は、そこにはない。
和恵や弓子が明らかにそうであるように、
彼らの心は十七年かかって終わった何かではなく、
自分のこれからの方を向いているように見える。
重要なのは身近な人とのこれまでとこれからで、
大きな物語に参加した「あの時」のことなど、近い将来忘れ去られる。
一人一人の物語がある一つを中心に完結しているだけに、
俯瞰したときの地続き感がやるせないもののように思った。
隣で眠る人間の位置さえ、誰一人見えていないのだから。

歩が世界の境界をまたぐことに警告を発しているけれど、
全体を通して複数の物語を一番頻繁に横切るのは健次郎で、
最年少であるがゆえに途中参加、という立ち位置は、
この男には歯がゆいものだったのではないかと思う。
たかが二十年自分より早く生まれただけの男達、などと
終わろうとしている物語の主役たちを見下しながら、
その彼らの関係者である別世界の人間たちには、
和恵がこちら側へ来ないように制し、
武上には口をつぐみ、歩にも予防線を張り、と
徹底して終わる事件の余波が及ばないよう気を配っている。
それは世界の境界は安易にまたぐべきではないという、
自身の信ずるところの実践に過ぎないのかもしれないけれど、
もしかしたら健次郎が気遣ったのは「あちら側の人間」ではなく、
十七年をまたいで終着しようとしている男達の方なのかもしれない。
絶望を他人に思い知らされるのではなく、
自らそれに至れるよう若い仲間をそっと見守ったように、
健次郎は男達にからみつく因果の根を払ってやった。
ただ、もしもその根がもっと強固に生きていたなら、
それを手がかりに引き留めてやることの方を男は望んでいた気がする。
高橋や佐久間と言葉を交わす言葉の端々からそんなことを感じた。

良重、健次郎、和彦と、
生きているうちから死を臭わせる人間がたくさん出てきて、
死を指向させる共通の何かがあるような気がしてしまうけれど、
あるのは各々の事情だけで、多分そんな妙なものはない。
いつでも死を選択することができるというスタンスは、
それを口に出すかどうかだけの問題であって、
実はそれほど特異なものではないのだと思う。
死にたい、という希望は明文化されにくいけれど、
あ、今死ねるな、というくらいの感覚は、
少なくとも私にとってはわりと日常的で、
世の自殺のいくらかはその延長にあるのかもと思ったりもする。
はっきりとそれを他人に表明した三人だって、
自らそれを選んだのは良重だけで、
健次郎はほぼ確実にそれを選ぶことがないだろうし、
真相は永遠に分からないけれど、
和彦にもそのつもりはなかった気がする。
手の内に死を収めて、あるいは隣に死を感じて生きることは、
必ずしも自殺に直結しないし、
逆に自殺に至る道に常に死の影があるわけではない。
良重は最期まで冗談のつもりだったのかも、なんて酷い見方。

深夜に鍋に灯油を入れて運ぶ女、なんて
そんな話では多分ないと思いながら、
ちょっとしたホラーだった。

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