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2013.04.20 (Sat)

美しいこと


美しいこと
(2013/3/15)
木原音瀬

君を愛している。
君だから、愛している。
その「君」の一歩目に嘘があったなら、
愛はどうなってしまうのか。

思うことと思われることの狭間で、
二人は目の前の「君」を定義する。
怯えながら、何度も何度でも。


【More・・・】

*この感想文は蒼竜社刊「美しいこと(下)」収録の続編、
「愛しいこと」の内容をふまえています。
小冊子「愛すること」は未読です。ご注意ください。

たとえ第三者や個人の外にある枠組みを介しているように見えても、
原則として、人間関係は一対一のものだと思う。
友達全員が自分にとって同じ重さであるわけはないし、
親兄弟だからと言って、無条件に愛せるわけでもない。
乱暴に利害関係を取り除いてしまえば、
好きか嫌いか評価外かの三択しかないのが実のところで、
だから友人として、とか、恋人として、とか
そういうものは一種の逃げか牽制であって、
本来は「あなたは」「あなただから」と言うべきなのだと思う。
寛末と松岡はどちらもちゃんと目の前の相手を見ている。
それでも延々と気持ちはすれ違い続ける。
それは松岡がずっと一人の寛末を見ているのに対し、
寛末にとっては葉子と松岡は別の「あなた」であって、
葉子に向けていたのと同じものを他人に向けるなど、
土台無理だから、という話なんでしょう。
それは至極普通の、責めるには酷な感覚に思えるから、
寛末だけが鈍くて酷いわけではなく、
二人の関係、その過程の痛みは彼ら二人のものなのだと思う。
「究極の恋愛小説」なんて陳腐な帯に真面目に頷いてしまった。

最初に葉子に恋をしたのは寛末の方で、
その一途さと健気さは、初恋のそれのようで、
三十代男子的にはどうなんだと思わなくはないけれども、
たくさんの美点を知り、何よりあれだけ思われては、
松岡が参ってしまうのも仕方ないような気はする。
とはいえ、松岡が本当のことを言おうと決心したときは、
それはやめとけ、と止めたくなった。
松岡には十分に寛末という人間を知る時間があり、
自分が男で相手も男であることについても、
悩んで考えて、受け入れる時間があったけれど、
自分が嘘をついたまま取った相手の言質を足場に、
松岡洋介を葉子と同じように受け入れて貰えるなんて思うのは、
どう考えても恋が見せる都合の良い希望でしかないように思えた。
だから寛末が混乱して松岡を拒絶したことは、
案の定というか、そら言わんこっちゃないという感じだった。
けれど松岡の凄いところは、そこから先の粘りだと思う。
男だという一歩目で拒絶された時点で、
自分の気持ちも勘違いだったということにしても良いのに、
今までの時間をなかったことにするような寛末の態度に対して、
相手にも時間が必要だと傷つきながら食い下がる。
返ってこない場所にひたすら気持ちを投げ続ける苦しさは、
痛みを覚えるほどに真に迫って、木原さん見事です。

松岡が気持ちを振り切るために確認していることは、
寛末基文という男に対する全く正当な評価だと思う。
真面目で誠実で一途、と書けば聞こえがいいけれど、
融通は効かない、嘘を嫌うくせにその場しのぎの嘘をつくし、
自分を裏切らないために、判断を他人任せにする、などなど、
その上一生懸命だけれど仕事はできない、ときて、
なんでこんな男が、と端から見ても思わざるを得ない。
でも皮肉にも寛末自身が言っているように、
相手のずるい部分、嫌な部分を正確に捉えた上で、
そういう部分を含めて愛してしまう、などと
そこまで気持ちがいってしまったなら、もう戻れない。
「愛しいこと」からは寛末視点なので、直接描写されてはいないけれど、
多分二度目に振られるまでの間に松岡は、
何度も何度も自分の中で寛末を捉え直し、
その度に同じところに着地してしまったんだと思う。
逆に考えれば、寛末にとっての葉子は、
松岡が寛末を思うのと同じくらいに大事な女性だったということ。
松岡を傷つける寛末の言動は、
まだ答えを出せていなかった頃の葉子のそれの相似形で、
ああやっぱりこれはお互い様なんだよなと思う。

これは本当に気持ちが通じないまま終わるのでは、と
どんどん離れていく二人の距離を見ていて心配になったけれど、
寛末が松岡に対する見方を変えるのに必要だったのは、
社会人としてプライドや葉子を想起させるものを排して、
純粋に松岡のことを考えられる余裕だったようで、
物理的距離と過ごす時間に反比例するように、
実家に戻ってからの寛末は松岡のことばかり考えている。
街を出る時に松岡のことを全く考慮しなかったというのは、
あの時点では多分寛末の偽らざる気持ちなんだろうけれど、
それでも松岡が健気に、けれどあからさまに投げ続けた好意、
好きだと言われたくて頑張り続けた行為は、
少しずつでも寛末の中に積もっていたからこそ、
寛末は松岡のことを「考える」ところまで来てくれたんだと思う。
気持ちを伝えることに下手くそ極まりないがゆえに、
「気になる」なんて言葉を繰り返して飽きずに松岡を傷つけるけれど、
その意味するところ、寛末の気持ちは確かに変わっている。
変わったからこそ、寛末を振り切ろうとする松岡の態度の中に、
まだ自分を思い続けている証を見つけられる。
そして溢れまくるそれに一度気づいてしまえば、
松岡と同じ位置までは加速度的に辿り着く。
「これが松岡だ」の台詞で、松岡ではないけれど、全部報われた気がした。

最後の松岡のメールに悶えてしまったので、
その後の二人を描くらしい「愛すること」の入手困難が本気で悔しい。
講談社さんでも蒼竜社さんでも良いから、伏してお願いしたい。

2013.10.15追記
電子書籍版「愛すること」を発見し読了。
相変わらずのぐるぐるの松岡と腹の据わった寛末を見ていて、
何はともあれ末永く爆発しろ野郎ども、と思いました。
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