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2013.04.25 (Thu)

花物語


花物語
(2011/3/30)
西尾維新

出会いがあれば別れもあるなんて、
そんなことは分かっている。
本当に寂しいのは、
別れた人が別の誰かに出会うこと。
そうして自分の知らない人間になっていくこと。

自分が置き去りにした者たちを、
容赦なく忘れながら、
置いていかないでの言葉を飲み込む。
春はそんな季節。


【More・・・】

学校における数ある感動的行事の中で、
ハイライトに挙げられるのが、卒業式だと思う。
自分が出ていくのであれ、先輩方を見送るのであれ、
その日を境に日常だと思っていた風景が、
二度と再現されない過去の棚にしまい込まれることになる日。
涙する級友たちや後輩を見ながら、
ついに一度もその仲間になることがなかったけれども、
それは単に変化に対する実感を、
その日、その行事の中で得られなかっただけなのだと、
神原の視点で卒業式後の学校というものを見ていて思った。
阿良々木くんや戦場ヶ原の気配を探しながら、
新しい生活、新しい日常に慣れようとする彼女の視点、
その中に含まれるもやもやとした不安は、
制服の学生時代何度も感じたことがあるものな気がした。
出会いと別れの季節という美しい文言は、
置いていき、置いていかれる季節などとネガティブに換言できる。
そして多分置いていかれる人間よりも、
置いていった人間の方がそのことに無自覚なのだと思う。
先輩たちが神原のらしからぬ気持ちを知らないように、
神原が沼地の三年間に全く関わらなかったように。
思い出の箱、そこにしまい込まれる喜びと悲しみを思った。

前回が八九寺もといハートアンダーブレードの話で、
そこから何やら時間が飛んでいる模様。
時系列通りに進まないのはもはやデフォルトなので、
まあ気にしないことにしよう。扇くんが気になって仕方ないけれども。
阿良々木くんやガハラさんたち三年生が卒業し、
一つ下の神原だけが残された学校の風景は、
阿良々木くん語りの時には直接は見えない神原の内部、
内省的で感傷的、かつ好悪のはっきりした感情が重ねられることで、
春の不安や足場の覚束なさをこれでもか浮き彫りにしてくれて、
読みながら自分まで取り残されてしまったような気分になり、
「キャラ」でもなんでも良いから、
対大好きな先輩方の神原に戻ってくれないかな、などと思った。
猫での委員長の語りのときも思ったけれど、
阿良々木くんから見た彼女たちの怪異にまつわる物語と、
彼女たち自身の目を通したそれはやはり別物なのだと思う。
スポーツマンでサバサバ気持ちの良い後輩像の裏側あるいは隣で、
神原が悪魔に何を願ったのか、望んだのかを、
阿良々木くんはちゃんと見抜いていたけれど、
それでもそれは神原というキャラクターの上に描かれたもので、
バスケが、陸上が、先輩方が、毛むくじゃらの左手、母親の形見が、
昔の神原、今の神原にとってどういう存在だったのかを、
本人を通して見て初めて、納得できた気がする。
その上で、やはり神原駿河、君が好きだと思った。

受けた相談事は必ず解決してくれる「悪魔様」は、
三つのモードそれぞれの怪しさといい、
ちゃんと受諾せずの場合がある現実性といい、
いかにも中高生を中心に流行りそうな看板で、
自分自身はそんなものに頼りそうもない性格なのにも関わらず、
同年代の心理を読み取ってそういう設定を作れるのは、
沼地の才能の一つだったんだろうな、と
火憐ちゃんからの報告を聞いて思ってから、
それが過去形になってしまうことに悲しくなった。
沼地がせっせと勤勉に3年間やり続けたことは、
神原が嫌悪するように確かに悪趣味なのだけれど、
不幸に見舞われてそれを嘆く人間に対して、
第三者が「不幸なのはあなただけじゃない」などと、
全く慰めになっていない慰めの言葉を吐くよくある無神経を、
反転させて自分に適用しているだけであって、
沼地の趣味に対して感じる気持ち悪さは、
他人へ無神経さと自虐を同時に見せられているような、
そういう気持ち悪さなのかもしれないと思った。
持続可能な仕組みとしての必要もあっただろうけれど、
沼地の中の楼花さんを抱きしめてしまうような部分が、
あの奇妙な相互利益を現実にしたのだしたら、
「悪魔様」は悪魔を取り込んでも悪魔にはならなかったのだと思う。

思いがけず貝木が親戚の叔父さん的に出てきて、
お前そんな奴じゃなかっただろうと突っ込みながら、
この人登場する度に同じことを思ってる気がして脱力した。
でもまあ貝木のような憎んでも憎み足りないのに、
憎みきれない詐欺師が良い叔父さんをすることは、
殺しても死ななそうな良い性格のプレイをしていたのに、
結局は才能を駄目にして命を絶った沼地が、
あんまりな問題を抱えた無関係の少女を助けたいと思うことや、
同じように突出した力を持ちながら、
集団に馴染むことに成功していた神原の中に、
本物の悪魔を利用してしまうような弱さと狡さがあることと、
多分同列に語るべきことなんだろうなと思う。
ざっくり言ってしまえば、人には色んな面があるよね、という、
それだけのことなのだけれど、
そんな陳腐な悟りを当たり前に了解していても、
あの人はこんな人だとかそんなことするはずがないとか、
悪く言えば他人を型にはめてしまう部分が誰にでもあって、
それは信じるということだとも多分言い換えられる。
そして必ずしもその身勝手な信頼は悪いものじゃない。
君はこんな奴だと言い切ってくれる他人が必要な時もある。
阿良々木くんは思いがけず良い先輩になったんだなあ。

車を運転する君になんだか失望したのは、
神原だけではないのだよ、自覚したまえ主人公。

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