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2013.05.06 (Mon)

うわん 七つまでは神のうち


うわん 七つまでは神のうち
(2013/4/11)
小松エメル

守らなければいけないものがある。
何に代えても、己を差し出してでも。
約束を、したのだから。

少女は小さな弟を掻き抱く。
手のうちの命を失わぬため。
己を支えるそのために。


【More・・・】

願いと祈りの違いは意思の有無だと、
苦しいときの神頼みなるものを忌避しながら思っていた。
願いには自らそうせんとする意思があるけれど、
祈りはその成就を他者に委ねること、
すなわち祈る者は努力を放棄したのだと。
でも、自らの力と意思で立ち続ける真葛が、
閻魔様に一心に祈る様子を見ていて、
祈りは、人の意思や力の外で決まってしまう事柄、
最大限の努力をしてもなお触れられぬ場所に対して、
神の助力という形で意思を届けることなのかもと思った。
多分子供の健やかな成長もそこに含まれる。
死人を生き返らせることほどではないけれども、
命を此岸に留めることにも、人には限界があって、
どれほど必死に守ろうとしても、
幼い命はときに指の間をすり抜けていってしまう。
それは今も昔も変わらないから、
そうならぬよう、意思をもって願い手を広げながら、
さらに網を張るように、子を守る者は祈るのかもしれない。
無邪気な太一以上に、必死に弟を守ろうとする姉の姿が眩しかった。

うわんと真葛がタッグを組んで化け物退治をする様子は、
丁度うわんが「吸引」を技にしていることや、
人外と少女という趣味的楽しさが相まって、
江戸のゴーストバスターなどと呼びたくなった。
けれども真葛からするとうわんとの共闘は、
家族を人質に取られた上での甚だ不本意なもので、
第五話「閻魔堂」で言っているように、
隙あらば討ち取ってやりたいというのが、
偽らざる本音だというのにも、そりゃそうだろうと思う。
小さな弟の世話を焼き、父の体を守り、
普通の患者を診ては化け物どもと対峙して、
考えただけで自分にはとても真葛のようにはできない。
だからそれがたとえ純粋に結果的に助けた人のためではなく、
自分の家族のため、己の幸福のための利己的行為だとしても、
真葛を責められる者などきっといない。
人にとっては理不尽な化け物どもの理に対して、
真葛はそれに馴れることなく人の立場にしっかと足場を確保して、
できる限りのことを本当にできる限りやっていると思う。
真葛には自分にもっと甘くなってほしいと思った。

真葛の役目は逃げ出した化け物を捕まえることだけれど、
その過程でたくさんの人間の呪いにも触れている。
周市が紅に込めたそれ、弥吉や加絵からこぼれたそれ、
そして采女が見せた情景の中で母が己に、己が弟に施したそれ。
化け物に関わる事件の中だけでなく、
多分彼岸の瘴気のように人の世にありふれているのだと思う。
周市の呪いの源が母を恋う気持ちであったように、
呪いは、人に絡みつき縛り上げてしまう気持ちの塊は、
恨めしい憎らしいで丑の刻に参るようなものよりむしろ、
他者を大事に思う所から発するものの方が多いのかもしれない。
思いを言葉にすれば、それは他者を縛る呪いになる。
怨嗟にも思いやりにも何ら違いなく。
だからうわんのような化け物にとって人が生み出す呪いは時に毒で、
人の言葉は化け物の理に馴染まないのだと思う。
化け物は人の言葉に直線の延長線を引いて解釈してしまうけれど、
その実、人の心の本当は、延長線ではなく元を辿った一点にある。
呪いの言葉が愛しさから、愛の言葉が身勝手から、
そういうことが往々にしてあるのが人だということを、
あの白蛇や古木が理解することは無理なんでしょう。
言葉が通じるだけに、その通じなさがやりきれない。

墓場の下のあちらの世というと、
うわんの「土左衛門のよう」な外見は、
墓場の少年」に出てきたような、
屍鬼やら幽鬼が蠢く西洋的異界のものに近い感じがするのに、
捕まえるのは化け鼠、人面痣、白蛇、とごく日本的で、
なんだかそれらを「統べる者」たるうわんだけが、
そこから浮き上がった存在のように感じた。
うわんには太一の出自もからんでまだ裏があるようなので、
「統べる者」と自称するのに「墓守」と呼ばれたり、
力のほとんどを失った割には対化け物相手は無双だったり、
あのぶよぶよのいまいち掴みかねる部分は、
次巻以降のタネ明かしを待つことにする。
待つ間に考えるに、事の経緯や化け物どもの口ぶりからして、
太一がただの幼児である可能性は多分低い。
人間でさえないような節さえあるのだけれど、
真葛から弟が失われるようなことだけはなければいいと思う。
相手がごく善良で普通であることを理解しながら、
彼らが分からないし、分かられることもない、などと、
早過ぎる諦めに片足突っ込んだ真葛から、
その依って立つものを奪ったなら、きっと酷いことになる。
なんだか真葛らぶ過ぎる自分がどうかと思う。

九百九十九まではおそらくあと八百余り。
蜘蛛の子の怪とかで一気に数稼げないかな、とか
卑怯臭いことを考えるくらいに、真葛を応援している。

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