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2013.06.16 (Sun)

f植物園の巣穴


f植物園の巣穴
(2009/5/7)
梨木香歩

覗き込んだ穴が、
見通せぬ闇だったとしても、
そこには無などない。

ただ見えぬだけのものが、
吹きだまり、積もっている。
穴の底に下りねばならぬ、その時まで。


【More・・・】

小さな頃のことをどれくらい覚えているのが、
標準なのかはよく分からないけれど、
その頃を知る友人と当時の話をすると、
大抵は私に覚えのないシーンが次々と呼び出されて、
それは本当に私であなたたちかと言いたくなってしまうから、
なんとなく自分は覚えていない方なのだろうと思う。
小学校に入るまで、というかもっと正直に言えば、
低学年の時分でもすぐに思い出せる事は本当に少ない。
日々を誰と過ごし何をして遊び、何を見ていたのか思い出せない。
人生の最初の数年分記憶が欠落しているような気さえする。
けれどきっとそれはそんな気がするだけで、
過去は確かに故郷の土地と家の周辺に積もっているのだと、
佐田氏が迷い込んだ水底の国に現れる、
脈絡がないような不可思議な事物を一緒に眺めながら思った。
あの頃、という文脈では思い出すことができないけれど、
大きな桜の木の根元に埋めた鴉の冷たさや柔らかさ、
あるいは夜の森で迷子になって、誰かに背負われた時の安心感は、
記憶の位置を確かめるなら、多分その欠落の中のものなのだと思う。
佐田氏の「乳歯」のようなもの、水の滞った場所が、
自分にもあるのかもしれないと思えば、少し後ろ暗い気持ちになる。
けれどそれは、きっと時がくれば抜け落ちるのだろうとも思う。
稲荷や道行く鯉に会える日が楽しみだ。

語りの最初から何やら妙なものが時々出現して、
けれど前世が犬の歯医者の家内程度なら、
梨木さんの怪異譚ではまだ大人しい部類かと、
ほのぼのとした気持ちで植物園の周りを歩いていたけれど、
佐田氏の体が少年に戻ったあたりの段になって
日常の中に怪異が混じっているのではなく、
どうやら何もかもがおかしいのだと気付いた。
不可思議な事物に超現実的な対応をしながらも、
佐田氏はその度に過去の情景を思い出している。
「千代」のこと、実家のこと、大叔母のこと…。
出現するものと佐田氏の思考を端から見ていると、
何があったのか具体的には分からなくても、
この世界が何をしようとしているのかは明らかで、
だからいつまでたってもそこから先に進もうとしない態度は、
稲荷でなくても雷を落としたくなって仕方ないと思う。
過去の辛い経験のせいで今が立ちゆかなくなるのなら、
それは無理に掘り起こす必要がないと思うけれど、
忘却が将来を歪めるのなら、それはしなくてはいけない無理でしょう。
それでも「無理は」と言ってくれる水の国の住人は優しい。

佐田氏が忘れてしまったこと、そういうことにしたことは、
確かに重い過去で、子供に見せたいものではない。
佐田氏自身がそう思ったからこそ、
あの時彼は道彦の目を覆おうとしたのだと思う。
「クロ」は豊彦少年が自分を守るための装置とも考えられるけれど、
その瞬間の白い手を見て、千代の発見場所まで見に行ったのなら、
装置はむしろ大人になった彼が、
重すぎる過去を整理するために作ったものに思える。
大人の、卑怯で怠惰な保身に思える。
佐田氏は多分それを自覚的にやっているわけではなく、
それこそ子供が面倒を見えない場所押しやるように、
習性のようにそれをしてしまっているのだと思う。
でもその習性は本人しか守ることがない。
端的に言ってそれは単なる事実の誤認なのだから、
齟齬が生まれるのは当然で、それは他人を傷つける。
千代をクロにし、子供を見ないようにし、
それを悲しむ妻までも亡き者に、なんてまかり通るわけもなく、
結局何が佐田氏をそこに招き入れたのかは分からないけれど、
要はいい加減落とし前をつけよ、ということだったのかもしれない。
現実時間二日程度で済んで幸運であった。

水底の国を行くうちに佐田氏が了解していくように、
あの国は過去と今がごちゃごちゃに詰め込まれた、
多分半分は黄泉の国のような場所なんでしょう。
付け加えるなら、感得する者の思いの強い影響下にもある。
経験したその時に感じたこと、思ったことが、
そのまま事物に反映して目の前に現れる。
恐ろしいものは恐ろしく、不定形のものはそのままに。
その脈絡のなさは夢の世界のようでもあるけれど、
むしろこれは子供の世界そのものなのかもしれないと思った。
恐ろしい教師が鬼のように大きく、
優しい者が聖母のように、大切なものが光輝いて、
比喩ではなくまさにそのように見えるのが、
もう遠のいて久しい子供の頃の世界の姿だったかという気がした。
客観性というものや文脈、理を身にまとうごとに、
世界の姿は平らかに、他者との共通性を獲得していく。
道彦の外見や物言いがはっきりと輪郭を結ぶごとに、
佐田少年の姿も成長していったことは、だから道理なのだと思う。
生まれることがなかった、形を結ばなかった子供に、
名を与えることはきっと親にとってとても辛いことで、
それをすべきではないという向きもあるのだろうけれど、
カエルのような姿の言葉をもたないものに留めたままでは、
悼むこと、痛むことがきっと父親には難しい。
感謝を交わす父子のやり取りは悲しくて、幸福に見えた。

犬の手での歯の治療や、ナマズ神主はまだしも、
雌鳥頭の女に追いかけられるのは勘弁願いたい。
夢に出そうな恐ろしさだった。

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