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2013.06.22 (Sat)

ゲルマニウムの夜


ゲルマニウムの夜
(1998/9)
花村萬月

祈りは尊いのか。
信心は美しいのか。
罰は、赦しは、神の専売か。

跪く人間の望みを満たすのは、
一体誰なのだろう。


【More・・・】

人間が常に自由を求める存在だなどというのは嘘だと思う。
決して何にも敗北することがなく、
圧倒的硬度で永遠に屹立する真理のようなものが、
目の前でなくていい、どこかに存在するのなら、
その姿も名も不問にして、跪きくなる気持ちの方が、
何にも縛られたくないという気持ちよりよほど理解しやすい。
そういうものの存在を信じることができたなら、
足元の確かを疑わずにはいられない不安は、
根こそぎにされるのだろうと夢想する。
残念ながら今のところそんなものは現れていないけれど、
夢想すること自体がおそらく私の跪くことへの欲求の現れで、
強弱やそれを受け入れるかどうかに差はあっても、
従属への憧れ、大げさに言えば渇望みたいなものは、
誰しも持っているのではないかと思ったりする。
自尊心や自立心、あるいは羞恥心旺盛な方々は、
犬になりたい。隷属したい。思考を放棄したい。
などの文言には多分眉をひそめて軽蔑の眼差しを向ける。
でも神に祈ることも、恋人や家族を慈しむことも、
根っこのところは同じなんだろうと朧を見ていて思った。
祈るとき人が跪くのはそういうことなのかもしれない。

人殺し、シスターおよび見習いに対する姦淫、
暴力による支配、神を貶めるような言動の数々…。
法律や社会規範の基準で考えるなら、
朧という人間は迷う必要なく、悪なのだと思う。
というか一個人、朧自身の倫理観に限ったとしても、
その行いは善以前に容認できるものでさえない気がする。
確かに色々と思索のようなものをしてはいるけれど、
行動の起点になるのはそこから離れた動物的欲求で、
それを羞恥するがために理屈をひねり出しているようにも見え、
自身の中の空洞を他人に満たされたいと思う自分に、
言葉も行動も正直な教子の方がよほど恥を知っていると思ったりもする。
などとこけ下ろしておいて何だけれども、
朧に惹かれる者があっちにもこっちにもな状態のこの学園が、
別段変には見えない程度には結局この男が好ましかったりもして、
人タラシというのはこういうことかと悔し紛れに思った。
朧を憎めない、むしろ惹かれている者の言を借りるなら、
モラリストで、宗教に最も近い者で、伝説、ということになるけれど、
朧の述懐を聞きながらその行動を追っていくと、
この人は人を殺そうが童貞を失おうがそれ以前と変わらず、
羞恥心や自己嫌悪それから自尊心を盛大に抱えて惑う子供、
それを自覚した分だけ大人の顔をしている人間で、
傲慢不遜の下にあるその普通さが、好ましく思えてしまうのだと思う。
罪な男だ、などと嘯いておく。

学園の中の人間関係にはほとんど常に主と従の構造があって、
宇川くんや北くんを暴力で支配し、
ジャンなどからは信奉される存在である朧も、
一方で隠れ蓑を得るために院長の従属で、
教子に対してもおそらくはそうなんだろうと思う。
犯す犯されるの関係も暴力と非暴力の構造も、
必ずしも人と人の間の力学にそのまま反映される訳ではない。
強いられる者が主で、命令する者が従者であることは、
特に変態と呼ばれるような性癖がどうのという話にせずとも、
実はそう珍しいことではないことを、
彼らの充足あるいは飢えに見せつけられた気がする。
どんな方向の力の場を生じさせるにしても、
それを続かせるには双方の望みが満たされなければならなくて、
相手と自分を読み誤ったまま突き進めば、
三浦が朧を失望させたように、荒川が頭をかち割られたように、
関係は交わされる行為の重さの分だけ激しく破綻する。
お互いが満たされる関係でなければ、なんて理想論的な文言は、
案外現実的で、切実な目標なのかもしれない。
破綻の儀式を容赦ない蹴りやバットで行う人間は少ないにしても。

どんな名前の神も真の意味で信じたことがない身では、
神はいるのか、という問うこと自体憚られるけれど、
それを承知でモスカ神父と朧の問答を通して、
朧が神や宗教に対して望んでいるものが、
はっきりとは掴めないながらにぼんやりと見えた気がする。
ごく単純に陳腐に言ってしまえば、朧は神を望んでいるのだと思う。
その力学的な実在だけでなく、下される罰や赦し、
神という存在に付随する超高高度からの言葉を欲しがっている。
自分が持っている欲求や倫理に対して何らかの返事が欲しくて、
それでもって自分の位置を確かめたがっているように見える。
そう望むがゆえに神の沈黙に苛立っている、というのが、
幾重にもなった建前の実の部分なのではないかと思う。
モスカ神父が言うように「無力であること」が神の存在価値なら、
確かに朧は宗教の本質に最も迫っているのかもしれない。
神の名の下にいつか罰が下されることや、
告解が赦しに繋がることを信じ切っている人間よりも、
彼が現実にいかなる実効の力も持たないことに怒る者の方が、
神の価値を知る忠実な信徒、などと言ったらおそらく言い過ぎだし、
朧にはセルベラ院長に対するのと同じ視線を向けられるに違いない。

カッとして、グサ、とやられたくないので、
触覚だの何だのの隠語を使えば使うだけ、
ガキ臭い羞恥が透けるなどとは思っていないことにしておく。


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