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2013.07.10 (Wed)

死霊の跫


死霊の跫
(2001/11)
雨宮町子

死はありふれている。
生がそうであるのと全く同様に。
漫然と足を下ろしたその場所に、
奈落が口を開けることもある。

だから、避けられるものは避けよう。
術なきものもどうしようもなくあるのだから。


【More・・・】

死を忌まわしいものだとする感覚は、
おそらく時代や文化を問わず存在している。
少なくとも宗教的な文脈を除けば、
死そのものを歓迎することはないと思う。
それは忌避され、嫌悪され、ときに畏れられる。
自身や近親者の死を忌むことには、
様々な感情的な背景が存在するのだろうけれど、
そういう感傷を持ち得ない相手の死に対しても、
哀れみなんかの裏で何かしらの嫌な感じをもつのは、
普段は忘れたことにしているその存在を、
眼前に突きつけられるから、というだけではないのだと思うj。
もっと皮膚感覚に近い部分で、接触を避けたくなる。
何がそうさせるのか。死に触れるとはどういうことなのか。
ほとんど何の咎もないというのに、
呪いのようなものに曝される人々を見ていて少し分かった気がした。
死はおそらく何か匂いのようなものを放っている。
それは近づいた者の目や鼻や耳から入り込み、
ときに爆発的に増殖して、生者を死者の側に引き寄せてしまう。
彼らを襲ったのは、多分そういう現象なのだと思う。
それは本当にただの現象で、何者の意思も含まれていない。
だからこそ、死は、なんの変哲もないそれだとしも、恐ろしい。
そういうことなのかもしれない。

怪談に限らず何かしらの恐怖を描くお話において、
由縁でも所以でも、とにかく因果が分かるタイプの話は、
おぞましい描写があってもそれほど恐ろしいとは思わない。
なぜならそれは避けられる災いで、
赤信号で止まるとか、左右を確認してから渡るとか、
日常の危険を避けるのと同じように対処できるから。
アナコンダが出る密林になど行かなければいい。
恐ろしいのはそういう対応ができない、
あるいはやっても無意味な類のもの。
対象が無差別だったり、標的にされた後逃げようがないものは、
彼らの射程に入らないことを祈るしかできないわけで、
その対象選択が無差別であればあるほど恐ろしく思う。
なので六短編の中で一番落ち着かない気分になったのは「翳り」、
次点が「高速落下」、安心して読めたのは「這いのぼる悪夢」だった。
特に「翳り」は語り手に責めるべき点がなく、
唐突な出来事に対して当たり前の対応をしただけなのに、
生活を壊されて、おぞましい視界を与えられたわけで、
おそらくは起点である「彼」も望んだわけではないその現象には、
防ぐ手立てがない。全くない。
生者に囲まれて生きている以上、死と無縁ではいられないのだから。
しかしあんなものを見ながら、正気を失わない「わたし」が強靭過ぎる。

「Q中学校異聞」で何者とも分からない何かが起こしている現象は、
「高速落下」で死に見舞われた人々を襲ったものと似ていて、
一応後者には現象が起こる二つの条件が示されているけれど、
場所が同じ中学校であることを考えると、
あの男の思惑、あるいは場所にまつわる何かが、
彼らがそこにはまり込む一つの要因になったのだろうなと思う。
おそらく人間ではない「彼」が一体何を目的としているのか、
日時計とは何のなのかは分からない。
もしかしたら彼の存在もまた、もっと大きな現象の一部なのかとも思う。
死んだ人々、彼によって明らかに殺された人々は、
その現象の端で事故に遭っただけなのかもしれない。
ならば「翳り」と同様に、避ける手立てはほとんどない。
生まれ育つ土地や通う学校にそんな隠れたシステムがあったとしても、
それを知ることは、多分現象に巻き込まれない限りないのだと思う。
そして巻き込まれてからでは、もう遅い。
幸いにしてそういうものに触れたことはないけれど、
と思いながら、それは単にたまたまシステムに無視されただけ、
これまでが幸運だったというだけなのだと思った。
とりあえず直感を無視するようなことはしないでおこう。
せめてあの男のようなものに目をつけられないために。

恐怖映画的な凶暴性という点では、
「這いのぼる悪夢」はなかなかではあるのだけれど、
いかんせん仕組みにも背景にも驚くような点がなく、
男がクズについて熱弁を始めた時点で、
ああこれはもう絵美たちはご愁傷様という感じだった。
こういう形態のお話では若者たちがひどく浅慮だったり、
怪異を侮ったことが末路の原因になるのが定型で、
その点ではこの子たちは比較的冷静かつ慎重だったので、
せめて一人くらいは生き残らないかと期待したけれど、
見事に食い尽くされて哀れなことだとは思った。
ミッキーがあの組織に近づいた意図は不明ながら、
冒頭の様子からして、最初は懐疑的だったのだろうと思う。
科学に携わる一人でもあったわけで、
アイザックの詩やら神秘性とやらに惹かれたわけでも多分ない。
なのに数年後には、若者をクズの栄養剤のように言う。
宗教的な意味はないという言葉に油断したのか、
あるいは元々何かしらの信奉対象を求める気質を持っていたのか。
何にせよ、クズという植物を崇拝の一つにする組織と、
農学の専門家のミックスは最悪の類でしょう。
わずか数年で草本をモンスターにする頭があれば、
他にできることがいくらもあっただろうというのは、
この手のものにはまる人には言うだけ無駄なんだろうなあ。

本人に所以があって、状況が効果を上げて、
結果、因果のままに着地する。
なんとも正当な怪談だった「幽霊屋敷」。

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