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2013.07.12 (Fri)

残穢


残穢
(2012/7/20)
小野不由美

長い歴史をもつ都市であるほど、
いわくのない場所などない。
逆に致命的ないわくのある場所も、
ほとんどないとも言える。

かつて誰かが生きて死んだその真上に、
誰もが今日も寝起きする。


【More・・・】

この場所は以前は私ではない者の場所だったのだと、
初めて感じたのは引越しのときではなく、
学校での席替えのときだったように思う。
それは目に見える場所の交換で、
前にそこにいたのは見知らぬ誰かではなく、
クラスメイトか精精同じ学校の人間。
たとえ「死ね」だの何だの書き残されていたとしても、
少し嫌な気分こそすれ、不審がることはない。
消しゴムか少しのパテでそれは消える。
でも、そんな目に見える痕跡などではなく、
人が一定期間どこかに留まるだけで、
建物に、場所に、土地に、残ってしまうものがあるのだとしたら、
それが積み重なって、増幅して、
ときにそこから知らぬ間に持ち出されるのだとしたら。
それは考えたくもないほど、気持ちの悪いことだと思う。
特に、賃貸という「以前誰かのものだった箱」においては、
リフォームによって目に見える痕跡がほとんどないだけに、
目に見えないそれのことを気にし始めたらキリがない。
キリがないから、余程のことがない限り普通は考えない。
岡谷マンションと条件が近い場所に住んでいることだけ、
抜群に怖いこの怪談を読んで後悔した。

実話怪談の形式に則って語られるこの話は、
その現象一つ一つは大したことがない。
いや、実際に遭遇したら腰が抜けるかもしれないけれど、
怪談として聞く分にはよくある話の域だと思う。
しかも語り手とその仲間が執念深く糸をたどることによって、
整合性のない現象にはっきりとした背景が現れて、
「それ」が「そこ」に出ることに不可解さはなくなる。
だから、岡谷マンションを端緒とした一連の怪談には、
分からないことや不条理であることへの怖さは、
全くと言っていいほどないわけで、
自分が日頃恐怖を感じる文脈からは遠い話のはず。
なのに、怖い。何も起きていない描写でも怖い。
そのマンション、というかゆくゆくはその土地に、
関わりたくないなどと直接関わってないのに思った。
それは、自分が住んでいる場所にもという想像をしてしまう、
そんな理由だけではないような気がする。
書き手の言葉を借りるなら、私の世界のフレームの中に、
「触れてはいけないもの」が確かな存在としてあるがために、
震源に赴く彼らの袖を引っ張りたくなったのだと思う。
そういう人間は、多分本当にそんな場所に行ってはいけない。
一連の現象が示すように、影響は平等ではないのだから。

怪異の大元を探る道程は基本的に記憶と記録を頼りにしていて、
御料地だとかそういう特別さは何もないある敷地の話で、
かつ戦争という動乱を挟んだからとは言っても、
わずか数世代、年月にして百年にならないうちに、
社会の中でその両方が失われていく様に、
人間の儚い部分を見るような気になった一方で、
記憶にも記録にも確かな像を結ばない人々、
彼らが家や土地に残していったもののそのしぶとさが、
人間がどうしようもなく溜め込む澱のようなものを露にするようで、
生きているうちの心がけでそう出来るのならば、
そういうものを出来る限り残さずに逝きたいと思ったりした。
梶川さんが何度も詫びて逝ったように、
特別そういうものを信じていない人でも、
自分の死の後に残してしまうもののことを感じている。
死の事実自体が瑕疵となるのなら、
何一つ跡を残さずなんてことは無理なのだろうと思うから、
怨みの中で死ぬような事態を避けようとするくらいが精一杯だけれど。
引越しの際に自分のいた場所を気休めでも清め、
新しい場所に入るときにもそうすることが、
狭い土地で入れ替わりながら平穏に暮らすには必要なのかもしれない。

一行は時間と労力をかけてなんとか震源に辿りつき、
かつて「何か」と戦っておそらく敗れた人の痕跡を見つけ、
そこを一応の区切りとして、追跡を止めている。
怪異が感染し、移動を経ながら積算していく様子は、
震源となるものがもつ力の強さに依るとはいえ、
全国、全世界で同じ現象が起きていると考えると、
思考をやめたくなるような空恐ろしさがあった。
ただ、もしも彼らがその先、更なる震源を探したとしても、
久保さんが予感している通り、
それはどんどん実体をなくして、特異性を失って、
やがては、何の変哲もない悲劇に至るか、
もしかしたら根の端と端が繋がって輪になっているのかもしれない。
岡谷マンション周辺で起きたいくつかの事件は、
確かに福岡を起点とした怪異に原因や引き金をもっていたのだろうけれど、
首をくくることも、新たに人を殺すことも、
どちらも生きている者がすることには違いない。
怨みには感染する力があり、確かに実際に感染したのかもしれない。
でもその現象を駆動させているのは、生者なのだと思う。
「残渣」に影響されるかどうかがそれだけに依るとは思わないし、
生きている上で積み重なる感情やその歪みは、
全く責められるべきものではないと思うけれど、
「怪しいもの」はやはり見る者しか見ない。
キャリアになるのを避けられないなら、発症を避けるしかない。

語るだけ、近づくだけで障りを起こす怪の話。
そんな容量の怨みを残す死は、
一体どれほどの悲惨さだったのだろう。

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