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2013.07.13 (Sat)

私という猫 呼び声


(2013/6/24)
イシデ電

猫である「私」には、
子がいれば、喧嘩相手もいる。
長年の腐れ縁もいるけれど、
いなくなった知り合いも多くある。

「私」という猫は、
猫を一人で生きている。
「私」以外と隣り合いながら。


【More・・・】

「SATOYAMA」なるものがもてはやされて、
手付かずの自然というものが、
ほとんどの地域では意味のない理想だという認識が、
諸々の関係者に広がったのももはや一昔前。
それがどれほど妥当なのかという議論は脇に置いて、
世間一般ではやはりまだ「原生」なる幻想が生きている気がする。
生態系という言葉が一般の用語になったことで、
多くの生物からなる環境としてのそれは疑問視されつつあるけれど、
目の前の動物一頭の有り様に目を向けるとき、
どこかで彼らの「野生」や「本能」、それに根ざした振る舞いを、
羨望や感傷を多分にまみれたところから、
人に侵されざるもののように神聖視して期待する傾向はあると思う。
人間にもその社会にも全く触れることのない生活史をもつ動物は、
まあ確かに一部にはいるのだろうし、
その姿の方が「本来」のものなのだと言われれば、
それを完全に否定する気は毛頭ないけれど、
少なくとも、人の隣で寝起きする動物に対して、
赤道直下の密林に生きる獣と同じような振る舞いを求めるのは、
彼らから目をそらしたものであるように思う。
彼らは人を利用し、時に恐れ、時に愛され愛し、
そうして人の社会の中で、生きている。
それはもう「野良猫」というそういう種の動物なのだと思う。

web連載で続けられていたものを読みながら、
本の形になって欲しいと思い続けていたので、
私という猫」無印が出てから五年目、本当に嬉しい。
もしも私が猫だったなら、と始まる物語は、
白黒のメス猫視点で街で生きる野良猫を追う。
いや、すれ違っていく、と言った方が正確か。
「私」が生きる街には多くの野良猫がいて、
顔見知りから子供の父親、腐れ縁まで、
様々に濃淡のある繋がりをもってはいるけれど、
「私」とボス、美しっぽなんかとの距離感を見ていると、
徹頭徹尾、「私」もそれ以外の野良たちも、
一匹で生きているのだなあと思う。
それはたとえ自分の子供であっても例外ではない。
ほとんどのメスが春が来るたびに新しい子を孕み、
文字通り我が身を分け与えるように育てるけれど、
そんな風に一人前にした子であっても、
次の春かその次辺りには、爪を交える相手になっている。
基本的にはいなくなった者を殊更探したりもしない。
隣り合っていても、彼らは一緒にあるわけではないのだと思う。
人である私が猫だったなら、という前置きで始まってはいるけれど
猫である「私」たちの振る舞いとして、すんなり納得した。

無印では猫と猫の話が多かった印象があるけれど、
今回は人間の大きさが前面に出ている気がする。
人の傍で暮らしたいと言うもの、人を嫌うもの、
無関心なもの、考えるまでもない解をもつものなどなど、
それぞれがそれぞれに人間というものを解釈し、行動している。
同じような経験をもっていても、
ミーさんのように思うものもいれば、
恐れに身を強張らせて、そこから動けなくなるものもいる。
分かりきっていたはずのことながら、
一匹一匹が全く違う思考をもち得る存在であることを改めて感じた。
猫というものは、という言い方が大抵無意味なのと同じように、
野良猫というものは、なんて言葉でくくることもできない。
ただ、多分人が彼らをそういう言葉でくくりがちなのと同じように、
彼らもまた人を人というくくりで考えているのだとは思った。
ミーさんが怖い思いをさせられながらも、
人から離れたくないと思うことも、
「私」が人が不可解な存在であることを知りながら、
基本的には無害なものだと信じていたことも、
個々を誤差と捉え、全体を一つの存在と考える構造が背後にある。
それは時に致命的になり得るほど危険なもので、
「私」の失敗は、ミーさんの愚直さを笑いながら、
自身がもつそれに気づけなかったことなのかもしれない。

社会問題の一つとして野良猫というものを捉えるなら、
捕獲からの避妊・去勢は適切な施策なのだと思う。
増えすぎれば人の害になるだけでなく、
餓死や交通事故で「無残な」死も増えてしまうから。
でも、そんなものは一匹のメスたる「私」には関係ない。
「私」が失ったものは二度と戻ってこないし、
彼女が失ったその理由を理解する日も来ない。
それは肉体的な喪失というだけでなく、
孕み育てられる自負と誇り、「私」の「私」たる部分が、
決定的に損なわれてしまったということでもある。
美しっぽの終わりも容赦ないものではあったけれど、
「私」が一瞥のうちにそれを飲み込んだように、
野良のメスとしては何のことはない結末だったのだと思う。
でも喪失後の「私」の混乱と崩壊は、見ていて本当に辛い。
自分の中に空洞を感じながら、「大丈夫」と繰り返し、
できるはずだと信じようと腹に牙を立て、
目の前の事態を認識できずに、腐り壊れていく。
生まれないことは、生めないことは、
飼われになるのでない限り、死に等しい。
まだ目も開かない仔猫が「私」に言った言葉は、
多分「私」の内側から響いている。
折れるように倒れた「私」に、何も言えなくなった。

同人誌として出ている番外編「ハイシロー・彼」で、
元飼い主を「人間」ではなく、「君」や「彼」と呼ぶことが、
現ボスたるハイシローの器なのだと思った。

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テーマ : 漫画 - ジャンル : アニメ・コミック


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