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2013.08.22 (Thu)

プシュケの涙


プシュケの涙
(2010/2/25)
柴村仁

約2.5秒で、
人の心は一体どれだけ動く?
悲しみや恐怖には至るのか。

夏の空を見上げて、
彼女は何を思っただろう。


【More・・・】

次の瞬間には忘れてしまう出来事も、
一生思い出すことになるような事件の始まりも、
意地が悪いことに、同じ顔をしてやってくる。
だから大抵の場合人は「その時」に気がつけないまま、
日常の延長線上で決定的な喪失を経験することになる。
そのとき、「その時」は遡って「あの時」に塗り替えられ、
後悔を生む源泉になってしまうのだと思う。
一人の女の子の死の周りで、
絶対に届くことのない「あの時」の反芻を続ける彼らも、
その日に向けて日常が軌跡を描いていることなど、
まさにことが起こってしまうまで、ちらとも思わなかった。
彼女を知らない二人の少年も、
彼女を知り始めたばかりだった少年も、
新しい「あの時」をいくつもいくつも見出しながら、
おそらく一生彼女を忘れず、反芻を続ける。
それはとても辛く重いことだと思うけれど、
彼女が最後に見たであろう空や、描きかけの絵のことを思うと、
「あの時」を思えるのは幸運なことなのだろうと思ってしまう。
そんな風に死を哀れまれたりしたら、
吉野彼方はきっと憤る。由良は嘲笑する。
それでも、彼女の死を惜しまずにはいられない。

クラスに馴染もうという素振りを見せない、
妙な噂があったりする、不登校気味の謎のクラスメイトが、
もしもある日学校で転落死したら、
何の疑いもなく、ほぼ自動的に自殺だと思うと思う。
その子のことを知らないがゆえに、
知らない部分に何か適当なのっぴきならない理由を、
いや、そんな考察さえせずに、
何を考えているか分からないというだけで、
飛び降りる衝動を起こしてしまうには十分に感じる気がする。
きっと学校の多くの人間にとって吉野彼方の死は、
「学校で自殺した子がいた。よく分からない変な子だった」
それくらいの事件として記憶され、忘れられていく。
もちろん吉野は自殺していないし、言動にも理由があったわけで、
その認識は正確なものではないのだけれど、
たとえそれが物理的に近い場所にいた相手でも、
よく分からない人間の死を追跡するなんて物好きはそういない。
自殺者が出て約ひと月の学校は日常を取り戻して見えて、
そんな中で彼女の死を周囲と同じようには扱えない榎戸川と旭が、
どんな気持ちでそのひと月を過ごしたのか。
「限界なんだよ!」と叫ぶ旭は愚かではあるけれど、
ああこの男は本当にただ男子高校生なだけだったのだと思った。

同じように吉野の死を目撃した二人だけれど、
旭が自分と織恵の将来を守ろうとしているのに対して、
榎戸川は織恵のために事実を隠蔽しようとしている。
ただ密かに思っている相手のために罪を犯すなんて、
そもそも榎戸川にはほとんど何の咎もないことを考えると、
とても美しい奉仕精神のようにも思うけれど、
榎戸川がそれを出来たのは責任の重さも関係している気がする。
本人の述懐を聞き流して言動だけを追うと、
江戸川は責任が生じることに関わることを恐れ、
生じたとしてもそれを逃れる方法があると思っている人間に見える。
由良の言う「そういうキャラ」もそういうことなのかもしれない。
そんな人間が人の死というものに関わったとき、
その重さを真っ向から引き受けられるわけがない。
自覚してにせよ、そうでないにせよ、
榎戸川は織恵のことを隠匿と工作の理由にして、
旭に加担した事実をなかったことにしたかったから、
もしも露見しても、主たる責任は旭に行くわけで、
織恵をかばうことには何のリスクもない、というのはあまりに邪推か。
少なくとも、美術室での由良との攻防を見る限り、
織恵を思う榎戸川の気持ちに嘘はない。
それで何の責任も減りはしないけれど、罪で気持ちが濁るわけでもない。

生物準備室から落下することが分かっているから、
生きている吉野の物語はどこを読んでも辛い。
吉野の家庭の問題は本人が自嘲する通り、
「適当に作った昼ドラ」みたいな状況で、
でもそんな昼ドラが成立するのは、
その苦悩がありきたりで、切実だからだと思う。
吉野は悩んだり頑張ったり、めげたり戸惑ったり、
そしてシャボン玉で喜んだりするような子で、
凄い絵を描く神秘的な女の子、ではなく、
少しお茶目で根性があって、絵の好きな子だったのだと思う。
由良は吉野を気に入って、多分恋に近く思っていたけれど、
それでも吉野の内面に踏み込んではいなかった。
学校の人間が吉野を勝手なイメージで解釈し、
榎戸川が由良のことを自由な策士のように思ったように、
多分由良も吉野のことを少しズレて認識している。
でも死に疑問を持ち、それを放置できないほどには彼女の近くにいて、
殺意なんて似合わないもので吐き気を催すくらいには、
吉野の死で心の一部を傷ませたのだと思う。
「皆そう」ならば、由良もそうなんでしょう。
変人由良も、ただの高校生に見えた。

由良は多分事実を暴露しない。
でも吉野の母親だけには、
娘が自殺ではないことを知らせて欲しいと思う。

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